走り続けることが、彼らの夢です。2008年03月22日 03:13

ある日の深夜1時半、会社内で繰り広げられた会話・・・

「お前引っ越しするんだろ?」

「はい、4月になってすぐの日に引っ越し屋の予約入れました」

「お前1人なのに引っ越し屋頼むくらい荷物多いんか?どうせ鉄道模型が一杯で運びきれないとか、そんなとこだろ」

「(図星)ええまぁ。300両以上もあるんで。」

「この機会に売ったら?いい金になるんじゃね?」

「それは勘弁して下さいよ。ガキの頃から好きで好きでファミコンも買わずに集めてきたんだから。自分が死んだら一緒に焼いてもらって墓に埋めてもらうつもりですよ」

 

冗談半分での会話だったが、ハタと考えてしまいました。数十年間趣味が高じて集め続け弄り続けた結果、段ボール1個では収まらない「自分の思い」が詰まった鉄道模型、自分がいなくなったらどうなるのか・・・・。

これまでの自分の親が模型に注いできた視線で考えてみると、親は多分「多寡の知れた箱一杯の電車のオモチャ」程度の理解であり、深く考えずに燃えないゴミとして出してしまうことが容易に予想できます。それは「自分の思い」も一緒に捨てられるようでとても寂しい。

さりとて「死んだら一緒に焼いてほしい」などといった馬鹿馬鹿しい遺言を残しても、炉を痛めるプラスチックと燃えない鉄(ウェイト)との塊を燃やすのは火葬場から拒否されることが容易に予想できます(そういえばかつての「鉄道模型趣味」誌か「RM MODELS」誌かにそんな事が書いてありました)。

自分がいなくなった後の我儘で恐縮ですが、どうすれば「自分の思い」を残せるのか?馬鹿馬鹿しいけど深夜に考え込んでしまいました。(そういう事を考える時間があったら、早く寝ましょう)

結局、中古市場に流してしまい、中古品を買った人に楽しんでもらうのが一番いいのかもしれません。多分、ジャンク品としての価値しかなく(拙い加工をしてある車両が多いため、多分ジャンクでしか引き取ってくれない)、二束三文で売り買いされることが想像されますが・・・走り続けることが、彼らの夢です。