沖縄に行っています(その3)在日米軍に接近2010年08月01日 07:08

今回の沖繩旅行では、7月30日に同行者2名(大学の先輩)と合流し、県内各地を回りました。
実は・・・観光地らしい観光地はあまり廻っていないのですが(その代わり何やってたかは追ってアップします)、意識して工程に組み込んだのが「在日米軍」。
特に反戦運動に参加している訳でもなく、逆にアンチ反戦な訳でもなく、沖繩において無視できない存在である彼らに、ちょっとでも「接近」したいと思い日程を組み立てました。

7月30日夜:沖縄市胡屋・ゲート通り
沖縄市・ゲート通り

7月30日の夜は、嘉手納基地の第二ゲートと国道とを結ぶ、通称「ゲート通り」周辺を徘徊しました。ちょうどこの日は米軍の給料日で金曜日。米軍基地付近の繁華街は良くも悪くも盛り上がりを極め、その雰囲気を体験してみるのには格好の晩です。
宿に着いて着替えをしてからゲート通りへ。彼らは身長も高く体つきも筋肉質で、自分たちの視線からみれば「ちょっと怖い」です。1時間近くゲート通りから周辺をグルグル廻り、ガイドブックに載っていた某店だったら入れそうかな?と思って行ってみたら閉店。。。
閉店した沖縄市のバー

給料日で金曜日という、弾けるには最高の日の割には人通りも覚悟していた程は多くありません。嘉手納基地の兵士も景気が割るのか?それともどこか他に出掛けているのか?店の中で盛り上がっているのか?ちょっとよく分からないです。

7月31日昼:名護市辺野古・辺野古集落
アップルタウン(辺野古)

翌日7月31日昼は、キャンプ・シュワブを抱え、さらに同じ沖繩県内にある普天間基地の移設候補地で揺れている「辺野古」にも行ってみました。「ひたすら歩いた〜沖繩みちばた紀行」でも取り上げられておりますが、集落自体は「アップルタウン」としてかつては繁栄していた名残が残る、静かな集落でした。暑い日中でしたので、誰も外を歩いていません。交番も巡回中なのか留守でした。
まるで内地で報道される基地移設の騒動が嘘みたいです。
ただ、気になったのは、辺野古集落の中に「辺野古移設賛成」を銘打った政党の立て看板が集落に多数貼られていたこと。
辺野古交差点

「基地移設に反対する内地の活動家が・・・」という表現で、内地の活動家を非難する表現が見られますが、とうとうそれの「逆バージョン」も出てしまったか、という気持ちで暗澹としました。

7月31日昼:金武町
金武町社交街

その足で、バスで15分くらい、米海軍海兵隊のキャンプ・ハンセンを抱える金武町に向かいます。ここも町中は碁盤の目のように区画整理された中、日本語とアルファベットが踊る歓楽街があり、近くにピザ・タコスを出す軽食店があります。キャンプ・ハンセンは、海兵隊の中でも厳しく鍛えられる新兵が所属する場所で、昼間しか見ていないのですが、その「荒さ」を垣間見たような気がします。
キャンプ・ハンセン


こんな具合で、沖繩の在日米軍のいろいろを駆け足でチラ見したのですが。
特に気になったのが・・・
・(その善し悪しはともかく)地元経済・文化において「文民vs軍人」で線引きが不可能なほど込み入った関係になってしまっていること
・地元を無視した「空中戦」が、内地の勢力で行われてること。

正直、「在日米軍が(内地と相対的に比較して)沖繩にその大部分が長い間陣取っている、」この問題は、どのような解決に至るとしても、地元で困る人が多数出てしまうような気がしますし、「沖繩vs内地」という、誰も望んでいない対立に発展する懸念も捨て切れません。。
在日米軍の日本への駐留を許し、その負担を国内の一部に押し付けつつその恩恵に浴している、一人の日本人として、本当に悩ましい問題だと思います。