阪和線で103系電車のルーツを追う2011年02月26日 23:42

阪和線天王寺駅の代名詞。行き止まりホームと高い天井

という訳で(仕事も溜まっており疲れが取れず最初は躊躇しましたが)緊急訪阪。阪和線の103系電車を追いかけてきました。
103系電車は、1960年代〜70年代に、3000両以上も量産され、日本の大都市での通勤列車で重用されました。しかしながら老朽化が進み、多くの車両が現役を退いています。
で、今回の阪和線。まだ100両以上の103系電車が残存し、京浜東北線や東海道線で馴染み深いスカイブルーの塗装で、普通列車を中心に大車輪の活躍をしています。

しかし、そんな「103系の楽園」でも、新車投入が続々と進み、追い出されるように103系電車はその数を減らすことになります。
で、今回の旅行で注目したのが、量産型トップナンバーの「クハ103-1・2」で構成される、日根野電車区K603編成。
>最後の活躍をするクハ103-1
この車両は、東京オリンピックが開かれた昭和39年に中間車と一緒に山手線に投入された後、先頭車が関西地方に転属してバラバラに使用された後、つい先年先頭車同士がコンビを復活させて阪和線で使用されているものです。
しかしながら、今年春に老朽化が進み引退するという事で、今回この「103系のトップナンバー」に着目していろいろ乗ってきました。


阪和線の103系体質改善車
それ以外でも、写真に示すような体質改善工事を施されイメージが大きく変わった車両も含め、103系電車は、今なお「阪和線の主役」として活躍しております。

大好きだったスカイブルーの103系電車が今なお第一線で活躍している。そんな現場に接して、思わず胸が熱くなりました。来て良かった。。。

コメント

_ NAL ― 2011年02月28日 11:18

 103系は、近年の新鋭車両に乗り慣れてしまうと「ううむ……」という乗り心地なんですが、趣味的には実に興味深いですね。
 (これは113系や115系、415系なども同じなんですが)

 私自身がもっとも印象深いのは、電化直後の八高線に投入された3500番台でした。
 冬の夜間、川越から高麗川方面に向かう3500番台の車内は、何とも言えない物寂しさが漂っていました。
 もう20年も前の話ですが……。


 関西の体質改善車、特に「体質改善40N」施工車は、103系に限らず何ともいえない魅力があります。
 熱心なファンには煙たがられそうな意見なんでしょうけど……(苦笑)。

_ クロポ415@泥酔鉄道 ― 2011年03月04日 02:52

NALさんコメントありがとうございます

>103系
川越線のは、もと仙石線(それも旧型国電の足回りを使用していたものです)。さしずめ、東武5000の足回りだけを8000同等のものに載せ変えたようなイメージです。
関西圏でも少しずつ数が減っており、外装や内装に手が加わってない車両はかな〜り少なくなっております。

_ NAL ― 2011年03月04日 05:52

> 川越線のは、もと仙石線(それも旧型国電の足回りを使用していたものです)

 それを当時知っていた身としては、なんだかものすごい格落ち感を感じたものでした……。
 くたびれたキハ35系の後釜が、これまたくたびれた103系3500番台か……と(苦笑)。

 実際に乗ってみると、路盤の貧弱さもあってか、他の線区で乗った103系よりも頼りない印象が……。


> 関西圏でも少しずつ数が減っており

 着実に新車導入が進んでいますから、やがては消滅していくんでしょうね。
 体質改善40N車は短編成に改造されて、地方線区に「下って」いくんでしょうけれど……。

 まさかと思いますが、余剰が増えるにつれて、地方の民鉄への譲渡が行われるようになったりして……。

_ クロポ415@泥酔鉄道 ― 2011年03月06日 20:20

NALさんコメントありがとうございます

トイレを改造してつけなければならない事、1M構成に出来ない事から、これ以上は地方への転属は進まないように思います。
むしろ一103系ファンとしては、大都市の重通勤路線に最後までとどまって欲しいなと思います。

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