死ぬ程嫌いだが、無いと死んじゃう〜「震災後」のジレンマと私見について〜2011年07月11日 20:40

今日は7月11日。東日本大震災の発災から丁度4ヶ月経ちました。
あれから4ヶ月、「死ぬ程嫌いだが無いと死んじゃう」という問題が重くのしかかっているように私は考えます。

「死ぬ程嫌いだが無いと死んじゃう」。一般化し過ぎた表現であり、より具体的に言うと。
「福島第一原子力発電所事故が明らかにした、原子力エネルギーが抱える致命的な問題点」と「ぶっちゃけ総理大臣菅直人があまりにもアレ過ぎる件」。どちらも、今の日本が抱える極めて大きな「癌細胞」だと思います。

その「癌細胞」に対する世の中の捉え方に「あれ?」と思います。すごい怖いですが、「世の中の空気を読まず、自分の捉え方」について今日は記事をアップしmす。
「それでも原子力発電所は当面必要だし。それでも菅直人は当面必要」。嫌いだからといって簡単に無くすと立ち行かなくなる。無くすのなら適正な代替案が必要だし、代替案無しで無くそうとすると国を危うくする。

何故?

例えば原子力発電所。確かに原子力発電所は、事故発生時のリスクが取り返しが付かないくらい大きく、無くせるものなら無くしてしまいたいと思います。いまの日本の狭い国土で運用し続ける事自体が、「異物を自分の体内で飼っている」くらい気持ち悪い。
しかしながら、いまの日本の産業体制を考えると(言い換えると、日本人が元気に活動して、復興の原資とか活力とかを考えると)、 向こう数十年の間は「モノを生産して世界に売っていく」体制に頼るのが一番確実だと考えています。
その「生産」の原資となるエネルギー。原子力発電所はあんな事になってしまいまいたが、それでもある程度安定して大量のエネルギーを供給しつ続けられる実績があります。
それを否定し、代替エネルギーの方針「いつ、どれだけのエネルギーを供給して日本を食わせていくか?」が具体的に示されない(いまの「脱原発運動」を見ていても、その辺で説得力ある説明が全くなされていないように思います)限り、「性急な脱原発」の流れに身を委ねる事はリスクが大き過ぎると私は考えます。
「復興を支える日本」も倒れたら、復興など叶わない。

例えば総理大臣菅直人。彼の振るまいは日本人のモラルからみれば許し難いです。はっきり言うと醜い
しかしながら野党および与党内の反対勢力。彼らは菅直人の危うい地位を簡単にどうにか出来る立場にありながら、「じゃあ具体的にどういう体制を作ってポスト菅直人を処理する?」が一向に見えません。
いまの日本の国情を考えると、ある程度安定した指揮執行体制が必要に思いますが、反対勢力は各論に踏み込んできません。
であれば、上に論じた原発の問題同様「無くなった後具体的にどうする?」が真剣に練られてすぐ執行出来る体制がない(谷垣も安倍も小沢も石破も鳩山兄弟も、そして多くの評論者も「ポスト菅直人」の『具体的』な動きを出さない。
苦しいけど「やめろ」だけの動きには賛同できない。「やめた後どうする?」が先に話題となるべき。そのあたりが詰められるまで、私は簡単に「菅直人ヤメロ」と言いたくないです。嫌でも向こう数ヶ月は「モラルの無い醜い、でもふてぶてしく安定した体制」を支持せざるを得ません。すっごい嫌だけど。

「死ぬ程嫌いだけど・・・無いと死んじゃう」
この中毒症状を緩和する薬は簡単にはありません。しかし、嫌いだからといって簡単に除去すると死んでしまう。
であれば、私たちのとる行動は2つ「無くなった後具体的にどうするか?を煮詰める事」「煮詰まるまでは死ぬほど嫌いだけど致命傷を喰らわないよう付き合って行く事」ではないでしょうか。。 その道のりはすごく辛いし苦しいと思います。でもこれを凌いで対応すれば、私たちはもっと逞しくなれる。そう考えます。