森岡正博「感じない男」2011年08月31日 22:31

森岡正博「感じない男」

男性が「女ぎらい〜ニッポンのミソジニー」を読んで、その後に読むべき一番いい本だと思います。
「女ぎらい」の中では、ミソジニー(女性嫌悪)は女にとっては『自己嫌悪』と言い換えられると説かれています。であれば、それの反対は何か?
「ミサンドリー(男性嫌悪)は男にとっては『自己嫌悪』と言い換えられる」、そのまま言い換えればこのように換言されるのではないでしょうか。
この問題が本質的でないためか、逆に本質的過ぎるためか、いままであまり論じられなかったこの問題を、「草食系男子の恋愛学」を著した哲学者の森岡正博が考察する、そんな本です。

フェミニストの上野千鶴子が問題提起だけして、(将来フェミニズムにとって有用であるであろうにも関わらず)無責任に男性側に問題を放り投げた「男の自己嫌悪」。本著では、男性である著者が、自己の赤裸々な経験・体験・知見をもとにし、思考実験を繰り返しながらその問題に接近する。そんな著書です。
とりわけ自分が惹かれたのは、本書前半部分における著者自身の経験(ロコツに言うと、フェティシズム的な「萌え」ポイント)をもとにした思考実験よりも、「男の体は汚いじゃないですか!(p144)に代表される「男性の自己嫌悪」に深く切込む本書の後半部分です。男と女の関係においては、つねに自分のほうから仕切ることのできる男へと、私は変わろうとした。自分の力によって女をよろこばせ、幸せにさせるような男になろうとした。それこそが「男らしさ」だと思ったからである。そして自分の体は汚くないということを自分にも納得させるために、おしゃれにも気を使うようになった。(p157)男にここまで言わせておいて、上野は「男にも自己嫌悪はある。そのとおりだろう。だがそれにも二種類の自己嫌悪がある。ひとつは、自分が男であることへの。もうひとつは自分が十分に男でないことへの。森岡の議論では、このふたつの自己嫌悪が区別されているとは言いがたい。(上野「女ぎらい」p268)といった具合に、「活動家」としては赦されるかもしれないが「学者」としては決して容認できない「鈍感さ」を晒している。

まぁそれが判ったただけでも本書はおすすめです。男がフェミニズムの論法を用いて「男性学」を考察して何が悪い。
(全年齢対象の本ブログで論じることは自粛するが、他にも本書は男の「違和感」に関する興味深い論が多く張り巡らされています。)



ちょっとクサクサしているので、帰りに呑み屋開拓。ありがたいことに愛して已まないサッポロラガーの開拓に成功しますた。