明けて8月16日。
この日はミャンマーの鉄道に乗る予定です。
ミャンマーの鉄道は東南アジアではお馴染のメーターゲージ(日本のそれより6cm狭い1,000mm軌間)ですが、日本が作った泰緬鉄道から半世紀を超え、東南アジアでネットワークを築くことなく、現在は自国内で路線が完結しています。
鉄道路線自体はヤンゴンからマンダレーその他国内の主要都市を結んでいますし、ヤンゴン市内は環状線があり、手軽にミャンマーの鉄道を楽しみたい人の観光スポットになっています。
そんな鉄道ファンにとっても馴染みがまったくないミャンマーの鉄道。
今回の旅行では、もともと「日本の中古バスに乗りたい」というのがメインで、鉄道は主目的ではなかったのですが、自分もhakutsuru81氏も大学鉄研の後輩・先輩の関係で元々が鉄道ファンであることもあり、やはり「逝ったからには乗って見よう」となりました。
ホテルを出てからガイド氏に連れられて駅に隣接する跨線橋を渡ります。そのままヤンゴン中央駅に連結しており、改札もなくホームに降りられます。ヤンゴン中央駅は旅客ホームが1番線から7番線まであり、ちょうどホームには近距離旅客列車が入線してきました。
しかし、写真のとおり枕木はスカスカで、線路に目線を合わせると、列車が通るたびにレールごと大きくたわみます。旅行雑誌でも出てくる「鉄道ではあり得ない縦揺れ」であり、保線状態はかなり悪いように見受けられます。
ただ、枕木はコンクリート枕木化が進んでおり、全く手が加わっていない訳ではなさそうです。
午前中乗る予定の列車が来ました。本当は日本製中古気動車(ガイド氏は「RBE」と呼んでいた)に乗りたいのですが、生憎待ち時間が結構あるとのこと。とりあえず午前中はできるだけ待つことなくミャンマーの列車に乗ってみたい思いもあり、ヤンゴンとマンダレーというミャンマー2大都市を結ぶ幹線(マンダレー本線)を最初のさわりだけ走るYwathagyi(イラワジ?ヤーワージ?)行きに乗りました。
料金は外国人価格で往復1ドル。どうもヤンゴン市内区間は、外国人は切符1枚につき均一1ドルっぽいです。
ヤンゴンの近郊列車といえばヤンゴン環状線が有名ですが、「1日数本」と呼ばれる環状線よりもマンダレー本線上にあるTogyaunggalay(トゥーチャンガリー。大学や港方面への支線が複数分岐する)やInsein(インセイン。大きな車両基地がある)までの区間列車の方が本数が多く(1時間に1〜2本)、体験乗車にはおすすめです。
そうこうしているうちに乗る予定の列車が来ました。中国の列車を彷彿とさせる緑色のディーゼル機関車に「名鉄色」の客車が3両。まだ列車は到着していないのに乗客は降りようとしています。この短い客車列車が、折返し10時20分ヤンゴン発Ywathagyi行きになります。
※ミャンマーは国情から鉄道施設が撮影禁止となっている模様ですが、昨今の民政への移行もあり撮影に対する取り締まりは最近厳しくなくなっている(「撮影禁止」が撤回されたのか取り締まりだけがやられなくなっているのかは不明)ようで、コンデジで写真を撮っている限りは誰からも何にも言われませんでした。
発車までは時間がありましたので、7番線まであるヤンゴン中央駅で、長距離列車の写真を撮っていると列車が入線。まだ発車までは時間があるものの「早く乗れ」とせかされるまま乗車すると、まだ10時10分なのに堂々と早発してしまいました。
列車は、ヤンゴン駅を発車してすぐ環状線・マンダレー本線の複々線となり、1駅〜2駅ごとにマンダレー本線の列車とすれ違います。環状線と分かれるMahlwagonを過ぎると、街中から一気に農村地帯に出ます。雨期なので堤防のない川が自由に草原を流れ、馬が草を食むののどかな風景(家もヤンゴン市内とは異なり竹を編んだ粗末な作りになります)が続きます。こちらは最近までヤンゴン市内の中でも開発の遅れた農村地帯であり、農村地帯の中に工業団地や大学(10年くらい前にできた)が点在する、ヤンゴンの中でも発展途上な一帯です。
Togyaunggalayでこの列車に先行して走り支線に乗り入れるRBEとすれ違ったりして、1時間ほどで終点のYwathagyiに到着。
着いた列車はすぐに機関車の付け替えをし、折返しヤンゴン行きとなります。
「名鉄色」の客車はRBT800型と呼ばれるミャンマー産車で、デビュー当初は名鉄のレールバスと組み合わせて使用されていました。
いまでは名鉄レールバス(に限らず古くなったRBE)は除籍・客車化・地方への転出によりヤンゴン市内からは撤退し、RBT800は機関車が牽く客車列車として使用されています。車体中央に大きなデッキがある他、窓ガラスは曇り(場所によっては外れたまま)照明は無く雨漏りもする悪いコンディションで酷使されています。当然連結面に幌なんてものはありません。しかしこれは昔の常総線もこんな感じで連結面に幌がないのを見慣れていましたので、あまり私は「危ない」とは思いませんでした。
ここYwathagyi駅は、大学設立に合わせて15年ほど前にマンダレー本線に新設された駅です。雨が降ったあとであることもあり構内は泥だらけ。素足にサンダルの自分の足元も容赦なく汚れますが、泥遊び感覚のまま水たまりで足をすすぎます。
10分ほどの折返しでYwathagyi出発。今度は一番最後の車両ですので車両も乗り込みます。
車掌氏は駅ごとに発車合図の旗を振り、車内で歌を歌っていた女子学生3人組に「プロよりも上手いからテレビの歌番組に出れば?」などと軽口を叩いたり、突然の大雨で窓がない席に座っていた乗客を別の席に案内したり、ビデオカメラで動画を撮っていた我々を叱ることなくまったり進んで行きます。
やはり1時間くらいかかってヤンゴン中央駅到着。ちょうどお昼であり駅で露店売りしているモヒンガーが美味しそうに見えます(ガイド氏曰く「衛生面でおすすめできない」とのことでした)
午後のRBE使用列車(午後5時発のインセイン行き)を確認したら、安心したのかただならぬ空腹感を感じ、中央駅の駅舎を正面から撮ることもなく、昨日とは別のミャンマー料理店に連れて行ってもらいました。
もはや「体がミャンマー料理を求めている」状態です。
味が濃いカレーと茹で野菜とでごはんをもりもり食べ、鋭気を養ってから日本への土産等を物色しつつ午後5時、再びヤンゴン中央駅に向かいます。
来たのは・・・キハ58が先頭の2両編成(
帰国初日にアップした写真です)。しかし編成は車体断面こそ似通ったものの凸凹の2両編成。しかも2両で色が違う、おかしいと思い前の車両に廻ってみると
JR四国から購入したキハ47が、色そのままJRマークすら隠されない状態で連結されていました。「RBE2573」の車両番号からすると、ここ1〜2年で投入された車両っぽいです。
キハ58の2エンジンの音を楽しもうと思い、キハ58に乗車します。この世代までの日本製中古車は、途中高さ制限が厳しいところを走れるよう車体の窓下を切り詰めております。写真は上がキハ47(冷房ダクトは残っていますが冷房はありません)、下がキハ58ですが、窓がちょっと低い位置にあるのが容易に判ります。
ヤンゴン環状線の客車列車を先に出してから、また定刻から早いけどInsein行きが発車。しかし肝心のエンジン音はしてきません。どうやら無動力で使用しているみたいです。
後部のキハ47のエンジン1基だけで走っているようなものですが、このキハ47もエンジン音がおかしい。どうも空気漏れのようなプスンプスンという音をひっきりなしに立てながら走っています。
確かこのキハ47は購入してから2年も3年も経っていないはず。にもかかわらずこんな整備水準でこんなに扱き使っているのなら、10年持たずに駄目になるのも分かる気がします。
Insein到着時には暗くなっていましたが、肝心のキハ58は車内照明すら付かない体たらくでした。
帰りはバスで帰ってきました。ライトアップされた黄金のパヤーが綺麗です。
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