今日もまた ― 2015年07月03日 00:15
嬉しい知らせ ― 2015年07月03日 22:45
C12型蒸気機関車を買ってきました。 ― 2015年07月04日 23:39
ありがたいことに今年の夏もボーナスをいただきました。
せっかくですので、上半期無事に仕事が終わった記念で、販売されたばかりのC12(KATO)を購入しました。
何でしょう、このディティールの細かさ。
車輪がちゃんと穴の空いたスポーク車輪になっていること、鈍い光沢を放つ黒染め仕上げになっていることもあり、まるで大きさが倍のHOゲージの模型を見ているみたいです。
早速ミニミニレイアウトで試運転。
これはすごい。音も車輪と線路の間の金属音だけで静かに走り出します。
トミーのN-1000CLだと前照灯が付く前に走り出すのが気になる程度で、他は全く大満足です。
風景の中に置いてみると、飾り立てのあまりない素朴な機関車の魅力が倍増。その中を走らせると魅力はさらに倍増。
ミニミニレイアウトに昔ながらの田舎の風景も作っておいてよかった、と思います。
製品はR150の曲線まで曲がれる仕様になっていますが、トミーのミニカーブ(R140)も全く問題なくこなせます。
Nゲージはレイアウトのゲージと昔は呼ばれていましたが、それでも場所を喰うことからなかなかホームレイアウトが普及しませんが、急曲線を難なくこなすC12を主役にすれば、あまり場所を取らないミニレイアウトの世界も広がりそうです。
そういう意味でも、急曲線通過に対応したC12は、神様のような(大袈裟?)製品です。
急曲線に対応できるよう、3個ある動輪のうち真ん中の動輪は、左右に横動します。
同じKATOの製品で昔から発売されているC11を出してみて比較。スケールより大きめのC11と比べると、本当に小さくなり、また登場して半世紀になるNゲージ鉄道模型の進化をみることができます。
まだナンバーはつけていませんが、是非真岡鐵道で現役の66号機を再現したいです。
ナンバー自体は分売されていますが、メーカー銘板は「川崎車輌」が印刷されていますので、どうしたものかと思います。
失われたナンバープレートを求めて ― 2015年07月05日 19:58
昨日の記事で、KATOのC12を買って、66号機のナンバーをつけよう、という記事を書きました。
そういえば、メーカー忘れたけど「C12 66」のナンバープレートがうちにあった(確か1日限定の「C121212」というナンバーも付いていました)はず。
そんな思いから、ジャンク箱をあらいざらいひっくり返してナンバープレートを捜索。
捜索ついでに、ジャンク箱の中に散らかり放題だった小パーツ類を、種類別に仕分けし、整理整頓をします。
その結果・・・・
出てきませんヽ(;´Д`)ノ
午前中で捜索は諦め、ジャンクを整理してもとの衣装ケースに収納。未組立のキットや改造ベースの完成品、組立途中で中断した半製品含め、すべてがこの箱の中に納まっております。
いやホントこれだけあれば一生楽しめそうです。それにしても良く積んだものですヽ(;´Д`)ノ
来週早めの夏休みを取り旅行に出ることから、少しの間更新頻度が落ちますので、ご了承ください。。。
2000年頃の那覇バスターミナル ― 2015年07月07日 07:35
昨日も目一杯働いて、疲れて帰り。平日は帰って寝るだけの日々が続いております。来週早めの夏休みを取りましたが、こんな調子ではホントに休めるのか心配です。
それでも、胸張って休める毎年の夏休みは、例年少し無理して遠出の旅行をするのが習慣になっております。
今年も年に一度の長距離旅行を夢見て、旅行の予約だけは早々に済ませておき、仕事も夏休みを外れるよう可能な範囲で調整しました。
そんな今年の行き先は・・・
久々に沖縄旅行を奮発しました。
はじめて渡沖したのが就職して2年目の2000年(まだ25歳)。社会人になりまとまった収入が入るようになり、飛行機で行くような大掛かりな旅も手が出るようになりました。
2000年当時、まだゆいレールは絶賛工事中。バスとタクシーが交通機関の主役でした。
当時の那覇バスターミナルはご覧の通り。本島内各地に向かう路線バスがひしめき合っていますが、凄いのはその車両達!
バスファンなら卒倒待ったなしの素晴らしい車両達が踵を接して待機しています。
車体後ろのエンジンルームが大きく開いたモノコックバスも当たり前!2000年当時は、まだ1978年の「ナナサンマル(道路が右側通行だったものを、本土復帰に合わせて左側通行に切り替わった)」で一斉に導入した車両が大量に残っていました。
もう感激、感動。初めての沖縄では観光もそこそこにバスの尻ばかり追いかけていました。
あれから15年。
ひと昔半が経ち、世の中も自分も、大きく変わってしまいました。
まず日本や沖縄を取り巻く状況が大きく変わり、政治的な事もあり詳細は省きますがが、世の中の「空気」とその「認知」とががだいぶ変化したように感じられます。
島の交通も、モノレールが出来て、4社あったバス会社の半分が破産し(本土のタクシー会社が進出して両者とも買収した)、あれだけ残っていたナナサンマル車もすっかりいなくなってしまいました。15年の間、2010年、2011年と2回沖縄に行きましたが、会社によってはナナサンマル車を保存の対象としており、それを友人達と貸し切りで走らせたりもしました。
そんな自分も、15年経てばすっかりキモいオッサン。その間で遅い結婚をしたりダイビングのライセンスを取ったり、加齢以外にもやれる事やれない事など渡沖環境が変わりました。
いろんな話があるけれど、実際行ってみないと分からない。はじめての渡沖から15年、どんな風景がありどんな感想を持つのでしょうか。
楽しみです。
最近のコメント