碓氷峠鉄道文化むらに遊びに行ってきました(後編)2015年09月01日 20:09

雨の中碓氷峠鉄道文化むらに遊びに行っています。
やはり碓氷峠といえば専用の補助機関車EF63でしょう。碓氷峠を通過するすべての列車に連結され、安全に急勾配を登り降りさせる運用についていました。電車と機関車が連結する珍しい使われ方や、質実剛健とした外見など、まさに碓氷峠のヌシ、と呼べる存在でした。
いや、碓氷峠のヌシと言ったありふれた呼び方ではなく、もっと相応しい例え方があるはずですが、残念なら言葉として出てきません。

午後は展示場の車両を見てみましょう。
ここには、碓氷峠で使用された車両の他、国鉄末期に廃車された車両が20両近く静態保存されています(どうも、高崎に電気機関車博物館を作ろうとして頓挫したときのストックみたいです)。ありがたく珍しいことに、それらの多くは、車内に入ることが出来、展示車両の現役当時の姿に触れ合うことができます。

その中から目を引いた一部を紹介します。
特急貨物用のEF65F型です。昭和40〜50年前後にブルートレインを牽いていた機関車と同じデザインですが、貨物列車を重連で牽けるよう、連結器周りの造りが異なっています。JR貨物で廃車になった車両を買い取ったものです。
この角度で見ると、同じ特急用機関車のEF60と重連になっているように見えます。

こちらは、さらに1世代前の旅客用機関車EF58。旅客列車を牽くのに特化した機関車で、連続して使用できる定格速度も高いことから、古い機関車にも関わらず旅客列車で多用されていました。ここには、宇都宮をねぐらにし、晩年は日光線でお召し列車も牽いたEF58 172が保存されています。
模型を持ってきたので、実車の運転台に出して一枚。

後ろは10系寝台車。昔ながらの幅52センチの3段寝台車です。模型で旧型客車の急行列車を組むときには「らしき見せる」のに重宝していますが、実車には乗ったことはおろか見た記憶もありません。
まさか実車の車内に腰掛け、低すぎる中段寝台に頭をつっかえらせる日が来るとは思いませんでした。
ただ、車内が埃というかカビ臭かったのは少し閉口。展示を見るなら、冬のほうがいいかもしれません。
また、座席には欠品も見られました。展示に制限が掛かっても仕方ないので、数十年にわたり展示品を維持できるよう、公開の制限を考えてもいいのかもしれません。

水戸線電化用に製造され、終生常磐線/水戸線を中心に使用されたEF80のラストナンバーEF80 63号機も模型で製作。運転台の交直スイッチで「親子」で一枚。
それにしてもローズピンクの退色っぷりは、気の毒に尽きます。
時々、定期的に車両の塗り替えをやっており、展示品を維持する体制と姿勢は強く感じられたのですが、施設を維持する体制が展示車両数に追いついているのか、少し不安です。

少しいろいろ考えましたが、楽しい時間は終わり。宿題を残して、帰りの電車の時間です。
帰りはSL碓氷号を奮発。終日雨で気温が上がらなかったせいか、シリンダー廻りから吐き出す煙が、より際立って白く見えます。
昔の碓氷峠では標準的に使われていたであろう軽量客車9両分になる編成の重みを従えて、ゆっくりと坂を降りる走りは、高崎〜横川が電化されていなかった昭和30年代のそれいっても過言ではありません。
快適過ぎて、夫婦揃って酔いながら舟を漕いでいるうちに高崎着。

細かい考え事はあるものの、18きっぷの消化と鉄道の魅力を再確認するのにはちょうど良い日帰り旅でした。
また行きたいです。