さよなら北斗星-機関車の整備2016年03月01日 08:00

日曜日は1日家に籠って、「さよなら北斗星」の機関車の整備をしていました。
居間の横にエンドレスを敷いて運転しながら機関車を分解して部品付けをしていましたが、今の機関車の製品は後付け部品が多く、4両でたっぷり1日かかってしまいました。
まず手すりが少なくて楽そうなDD51ディーゼル機関車から。
北海道内は機関車2両が重連で索きますが、模型はなんと重連にした2両が協調しない。。。
考えた結果、少なくとも機関車2両が途中で離れないよう、機関車間の連結器も爪で噛み合うTNカプラーに換装します。(写真上・中)
機関車と客車の連結部はアーノルドカプラーのままとし、製品に付属する磁石式の連結器切り離し機構は活きるようにします(写真下)。

DD51はこんな感じ。連結器を変えたことから、引き締まって見えます。

引き続き電気機関車2両。手すりやホイッスル、ナンバープレートを、ごく少量のゴム系接着剤(はみ出しても除去が簡単)で接着します。
部品の点数が多く、さながらキットのようです。。。
ここまで別付け部品が多いと、「買った時のまま」というわけには行きません。将来お金に困った時に転売できるよう部品は付けず買った時の状態を保って遊ぶか、価値は落ちても別付け部品をつけて遊ぶか、悩ましいところです。
そこまで考えたら、将来の転売などどうでも良くなり、好きなように加工することにしました。
屋上の碍子と配管は、製品のままのプラ整形色では飽き足らず、一度分解して白と銅を入れることにしました(碍子は緑色かもしれません)。(写真上)
その上で分解したものを組んで、ヘッドマークほか付属部品を付けて、青函トンネル用の赤いED79と東北線用ののEF510ラストナンバーが完成(手前2両。奥2両は整備中の機関車の代わりにさよなら北斗星を牽かせていた機関車です)しました。
美しく凛々しくて、ウットリしてきます。。。(写真下)

模型で遊ぶデビュー当初の北斗星2016年03月02日 23:06

「さよなら北斗星」セットには、「鉄道ファン」編集部も絡んだ、北斗星の紹介をする小冊子が付いています。
これを読めば、北斗星1号の初列車はEF8195号機が牽いていたり、原型国鉄色の機関車が最初は北斗星を牽いていたり、全車分の内装の写真もあったり、薄くて総花的ながらも内容がいろいろ興味深いです。
ブルトレ沼、というのでしょうか。ブルートレインとか北斗星に関する古本や薄い本に手を伸ばして色々調べ始める、いいリード部になりそうです。

日曜日のお座敷運転では、ローズピンクのEF81や白ゴムのレインボー機も出して、デビュー当初の北斗星5/6号で遊びました。
オハネ25の耐寒改造がいつどの車両に行われたのか調査中で、デビュー当初なら銀帯折戸のオハネ25を3両用意すれば編成になりそうです。史実に反するかもしれませんが、少なくとも「シロウトはダマせる」レベルでは遊べそうです。
仕事が休みになる時、もう一度列車を出して遊んでみたいところです。

ミニカーブのリバースに駅を作ろう2016年03月03日 22:44

少し前にミニカーブを使ったリバースで遊んでいる時、できればこういう電鉄風ターミナルが作れると萌えすぎて即死できるんじゃね?と思い、ちょっと対向式ホームを使って、ターミナル駅を再現する実験をしてみました。

本来なら江ノ電のような小型電車が似合うところですが、やはり欲が出てフルサイズの20m級電車や江ノ電重連のような長い電車も走らせたくなってきます。

試しに、リバースの本線上に1両分のホームを置いてみます。
江ノ電の連接車は余裕で納まりそうですが、さすがに20m級電車の2両編成だと余裕がありません。
なんとか車両限界に引っかからずに曲がれている模様です。しかし・・・
R140のカーブに差しかかるところでは、オーバーハングが出すぎてホーム上に派手にはみ出しています。もはや白線の内側で待っていても危ないレベル。

オーバーハングでのはみ出し幅を測ってみると。。。
(写真上)はみ出し幅でホーム端から4ミリ、(写真下)はみ出し延長で8cmにもなります。
やはりミニカーブレール区間にホームを設ける、というのは無謀すぎるようです。。。

諦めきれず、もう1本ホームを置いてみます。
なんだかターミナル駅の雰囲気が出てきました。
しかし手持ちの線路の組み合わせでは退避線の長さが足りず、江ノ電の重連がポイントまでハミ出してしまいます。
もう少し自分を追い込んで、脳味噌を沸騰させた上で頭の体操をしてみれば、今は思いもつかない妙案もでそうです。

ブルートレインvsレッドトレイン2016年03月05日 20:15

休日出勤から帰ってきた後、至福の運転タイムが始まります。
今回はミニミニリバースレイアウトを使って客車の運転です。
ミニカーブを走るさよなら北斗星

ミニミニリバースレイアウトですが、カーブ関係をいろいろ検討した結果、リバースの入り口にはYポイントを配置して駅入り口にカーブを兼ねるポイントを設置すれば急カーブが減ることによる実感味も増すし、既存台枠の流用加工もできそうな(長さ・幅は足りないので要切継)こともあり、さらに既存の組線路だけでヘロヘロに曲がったローカル電鉄の線路が再現できそうでもあり、いろいろ考えればこれが一番妥当な気がしてきました。
当面このプランで遊ぼうと思います。

で、このミニカーブで「さよなら北斗星」セットのED79を走らせてみます。
フライホイールの滑走の良さ、起動電圧の低さで煩いマニアにも評判の良いトミックスのED75/79ですが、本当に苦もなくR140の急カーブを曲がって行きます。それも溜息のデルスロー走行を魅せつけながら。

ミニミニリバースレイアウトに救世主降臨。そこで、ED79の連結器の片方を、急カーブ対応のアーノルドカプラーに、TNカプラー内蔵のカニ24の連結器をアーノルドカプラーに交換し、本格的に急カーブで遊べるようにします。

合わせてちょうど1年前に完成させた50系客車も失敬して出場。
さながら、特急の「ブルートレイン」対鈍行の「レッドトレイン」です。
並んだ尾灯がとてもセクシーです。。。

荷物電車(70系のオトモ&北関東用荷電)07:車体側板とドアの作り直し2016年03月06日 22:41

2週間空いた荷物電車の工作ですが、接着剤が乾いたらいろんな部材が収縮で丸くなっていました。
車体はなんとか騙しながら使えそうですが(歪みが出ないよう、面倒でも窓は1枚ずつ塞ぐ方が良さそうです)、乗務員扉は面白いようにひしゃげています。

これでは乗務員扉は使い物にならないため、作り直しです。
今回作り直す乗務員扉は、接着剤を使わずに形になるよう、は窓四隅に小さい孔を開け、カッターの切り出しだけでちゃんと窓が抜けるようにしました。

厨浜電鉄ものがたり05-あのイラストの世界を作りたい2016年03月08日 23:07

海へ向かうレモン色の電車に乗って、都会のターミナルを離れます。
・・・
今日はひとつ、ここで途中下車して、小さなローカル電鉄の旅を楽しむことにしましょう。
 この駅からほんの数キロだけ、海に向かって走り、あまり知る人もいない小さな漁港の町までをのんびり往復しているのが、御紹介する中央電鉄(CDK)なのです。
(鉄道模型趣味1991年8月号「海へ向かってっ走る小型電車 銚子電鉄ムードの12輌」より引用)

学生時代の昔から憧れていた、鉄道模型趣味のペーパー製小型電車の記事です。
どちらかというと自分は国鉄〜JR志向のNゲージャーですが、小林信夫氏の記事を読むたびに「雰囲気最高だし、結構簡単に作れそうだし、いいじゃん。」と様々な工作欲を激しく掻き立てられます。
仕事が忙しくて現実逃避になっていますが、ミニカーブを使用したリバース運転が案外楽しく、お座敷運転に飽き足らずレイアウトモジュールの形に仕立てることにしました。
その暁には、いまあるスキルで、この「CDK」をNゲージで再現することにしました。
どこまで作れるか分からないけど、氏の作品をいろいろ見ていると「手を動かして作ること」そのものがリスペクトになりそうですので、夏の海の季節に向けてやってみましょう。
早速ターミナルの「電鉄百貨店」に転用できそうな建物を仕入れてきてイメトレに勤しみます。。。

海へ向かうセピア色の電車に乗って、都会のターミナルを離れます。
・・・
今日はひとつ、ここで途中下車して、小さなローカル電鉄の旅を楽しむことにしましょう。
 この駅からほんの数キロだけ、海に向かって走り、そこそこ有名な港町「厨浜(クリハマ)」までをのんびり往復しているのが、御紹介する厨浜電鉄(厨電、チューデン、CDK)なのです。
幹線駅の片隅が厨浜電鉄の起点。貨物線を転用した本線が大きく曲がって伸びています。実は昔は階段下のバラック小屋みたいな駅があり、ここから市街地を縫う併用軌道が海に向かって伸びていました。
・・・
厨浜電鉄のイメージ
気がついたら、昼飯を食いながら無意識にイメージスケッチのような空想路線図をノートに書き殴っていました。

作るイメージは、関東地方周辺から太平洋に伸びる私鉄、特に「海」感が強い江ノ電と銚子電鉄と茨城交通湊線と福島臨海鉄道とのいいとこ取りな雰囲気に成ればいいなと思います。

ちなみに、名前の「厨浜電鉄」は、「チューデン」と聞こえる中で一番アレな名前を想像した結果、神奈川の久里浜と岩手の厨川から思いついたものです。

※新カテゴリー「厨浜電鉄リバース」を追加しました。

震災後5年生きての感想2016年03月11日 00:27

ちょうど今日で、東日本大震災からまる5年です。
当時のブログ
 
不幸中の幸いで、当時仕事をしていたあたりでは大きな人的被害はなく(建物の屋根の被害が多く、屋根職人氏が全く足りず建物の復旧はかなり長引きました)、余震に気を遣いながら無我夢中で土木関係の仕事の復旧の仕事をしていた記憶が強く残っています。
 
あれから5年、喪われてしまったものはやはり大きく、俯瞰してみれば未だ取り返しはついていないように思えます。
また、震災のせいか情報化社会の進展のせいか経済が想定通り廻っていないせいか不明ですが、以前に比べて揚げ足の取り合いというか足の引っ張り合いというか、ギスギスした世の中になってしまった印象があります。
世の中ごと変わっているのに、その構成員だからと言って自分だけ反省するのも面白くありませんが、せめてこの5年間で「変わった」事実は受け止めたいと思います。
震災というよりも、震災を経験した自分を含めた人間の認知認識に関する感想になってしまいました。