オフシーズンの沖縄行06-那覇の市場魂(11/28PM)2016年12月01日 21:50

朝出かけてから、宿に帰ってもう一風呂浴びてから昼前にチェックアウト。
家族で国際通りをプラプラ散歩します。
「奇跡の1マイル」と呼ばれた那覇随一の繁華街である国際通りも、三越や山形屋などデパート他那覇市民が生活に使う店がどんどん撤退し、代わりに観光客向けの土産物店ばかりになっています。
派手な看板の裏にみえる建物本体は古めかしい造りのものも多く、他の市街地ならいわゆる「シャッター通り」と化しているところ、沖縄県の観光産業の強さや国際通り自体の知名度や土産物店が新しいテナントとして入っているようにも見えます。
よく「国際通りは同じ店ばかりでつまらない」と言われますが、市民の生活行動自体が昔から変わり店の役割も変わった以上、仕方がないことかもしれません。

そんな国際通りから一歩入り、古びた屋根付きのアーケード街にある牧志の公設市場へ。かなり古めかしい建物ですが、これでも昭和40年代後半の築です。
市場内には魚屋や肉屋がひしめいており、本土では見ることのない極彩色のグルクンやイラブチャーがひしめいていたり、皮を剥かれたフグがいたりして、見ていて楽しいです。
昼過ぎのいい時間ですので、牧志市場特有の「持ち上げ(1階で買った魚を2階の食堂に持ち込んで調理してもらう)」でお昼をいただいてもいいのですが、お腹はあまり空いていない上に少し割高な気もします。
理由を自分なりに考えると、魚に値札が付いておらず、値段を聞くと想像していたのよりも高い値段で、欲しいままに積み上げると居酒屋と同じくらいかかるし、予算を決めて買うと逆にしょぼくなり、体感コスパが悪くなるような気がします。


まだ時間がありますので、牧志市場からさらに南に行きます。
古びた鉄骨造りのアーケードが連なり、観光客や土産物店もあまり無いですが、アーケード下の店は多くが営業中。
このあたり、牧志から壺屋の一体は、戦後の米軍占領時代からの闇市時代からの市場街で、長屋風の建物も闇市の環境改善の時代に建て変えられたものも多く見られます。
こういう商店街もすっかり少なくなりましたが、ここは今なお現役。
若い家族連れはあまり見ませんでしたが、いまのところ少し気だるいながらも生活の息吹きが感じられます。
これまで6〜7回渡沖していて、こういう活きてる商店街は初めて見ました。
お土産で、商店街の中で一番賑わっていた八百屋で、島野菜を大量に購入。

牧志市場のあるアーケードに戻り、ビルを見て見ると、最初は1棟の大きなアパートだと思っていた建物は、ギリギリまで近づいた2棟続き。
建物間は渡り廊下で結ばれており、間から必要最小限の換気と採光ができるようになっています。
昔の公営住宅で面積あたり建物面積を稼ぐため、このような煙突構造になっている事例を見たことはありますが、それでもここまでは建物間が密集してはおらず、独特です。

歩き疲れたのでその中の一軒にある、朝6時からやっている飲み屋で昼酒。
すでに出来上がっている隣の男性と話をしていると、彼は沖縄に移住する予定の話をしていました。
移住、いいなと思います。沖縄に引っ越してからも楽しく暮らして欲しいと思います。