東武線オフその2〜鬼怒川線乗車2017年03月28日 18:58

しばらく間が空いてしまいましたが、3月4日に日光に乗り鉄した時の続きです
下今市駅には、SL列車「大樹」のための検車庫と転車台が整備されております。
あっという間に決まった感のある東武SLプロジェクトですが、今年8月の開業まであと5ヶ月。施設を完成させて試運転もしなければならず、工事の工程は押していそうです。

下今市から先は、会津鉄道に直通する快速「AIZUマウントエクスプレス」に乗り換え。
この列車は、日光・鬼怒川と会津若松とを2時間かけて連絡する快速列車です。快速列車と言っても、車内は進行方向を向くクロスシートになっており、車内販売のスタッフも乗車しており、特急列車のような輸送も想定したサービスになっております。
快速列車にしては相当力が入っておりますが、元々は昔の名鉄「北アルプス」の中古特急車を使用していました。今では普通の第三セクター軽快気動車になってしまいましたが、特急料金の要らない快速列車ということもあり、装備は十分です。
野岩鉄道・会津鉄道とも利用客の減少がみられる中、野岩鉄道開通までは十分な交通網がなく人の交流も少なかった栃木県と会津地方との繋がりを、鉄道網を使って創り出す役割も担っているように思われます。
現在は3往復が運行されていますが、今度のダイヤ改正で東武日光乗り入れ便が増発されます。

下野電気鉄道として開業した、急カーブと急勾配からなる鬼怒川線を、ディーゼルカーは喘ぎながら30分近く走り、鬼怒川温泉到着。
こちらも、SL大樹を迎えるため、転車台や線路付け替えの工事中で、工事の様子がよく見えます。
転車台は、はるばる広島県の三次駅から持ってきたもの。

鬼怒川温泉駅の駅前広場。写真奥に足湯があります。
この広場は、昔(野岩鉄道開業前)は、駅前が駐車場になっており、送迎の車や会津方面に向かうバスで賑わっていたと思われます。
しかし、平成に入り、観光需要の変化による鬼怒川温泉の地盤沈下が進みます。そんな中テコ入れの一環として、平成16年にJRからの直通特急を受け入れる際に駅前広場の再整備を行って今の広い駅前広場ができました。

鬼怒川温泉では、帰りの列車まで2時間半ほど空き時間が出来ましたが、温泉に入るでもなく、一回り散策して昼食に蕎麦をいただき、足湯に浸かりお土産を買って時間を潰しました。

そして午後2時過ぎ、今回の乗り鉄の目的の一つ、東武特急スペーシアの個室に乗車です。
鬼怒川温泉駅の改札を出て、階段なしでホームに移動。ここから帰りの旅が始まります。

帰りのスページアきぬ126号は1番線ホームに横付けられております。この日は満員御礼。
早速お目当のコンパートメント(個室)に乗り込みます。
コンパートメント部分はJR乗り入れ時にはグリーン車として使用されることから、グリーン個マークが付いております。
コンパートメント車内はこんな感じ。ソファ風の4人がけの座席があり、中央にはテーブルがあります。壁沿いは豪華な絨毯敷き。
料金は土日で1室3700円。少々高い料金ではありますが、家族連れなどの旅行ではある程度大きい声でも気兼ねなく話が出来るなど、やはり個室ならではのメリットが大きいです。
今回の旅行でも、他の個室は家族連れを中心に埋まっていました。

日光からの山下りは、個室でお酒をいただきながら、話に興じているうちに降りきってしまいました。
正直、椅子の尻触りは6050系快速と大きく変わらない印象を抱きましたが(それだけ6050系の椅子は優秀です)、それでも幅に余裕ある座席周りなど、ヨーロッパのコンパートメント1等車に乗った気分になります。

帰りは1時間半で無事に浅草着。

今回企画していただきましたyouroumania様はじめ、参加された皆様お疲れ様でした。

国鉄廃止から30年2017年03月31日 21:52

30年前の今日、国鉄が廃止になり、あとの営業を引き受けるJR各社に引き継がれました。
人口減少とモビリティの整備を受けて、特に地方部において国鉄廃止が果たして正しかったのか?というところまで立ち返った振り返りを昨今よく耳にしますが、国鉄が積み上げた膨大な債務の半分だけでも(JR各社負担分)返せたこと、JR各社の多くは税金を納める主体として独立が進んでいることなど、もっと着目されても良いと思います。

そこまで考えていると電車が楽しくなくなってしまいそうですので、国鉄最後の日を偲んで、昔のディスクカメラで撮った写真を晒します。
1987年1月、親にスキーに連れて行ってもらった水上で撮影。
下りホームには新特急谷川が折り返し待ち。185系は特急らしからぬ内装はともかく、軽快な白と緑の塗装も相まって、国鉄末期の首都圏のヒロイン的な存在でした。
窓上のJNRマークも懐かしいです。
ホーム向かいには初代新潟色の115系電車もいます。

1985年1月、こちらも親に連れて行ってもらった土合(上越線)で撮影。
ループ線を走る上り列車の先頭には、なんと郵便車!
まだ関越高速道路が出来るかどうかの時代、関東と新潟とを結ぶ一番早い物流も鉄道が担っていました。まさに国鉄の面目躍如実。

物心ついた時には国鉄の低迷期を脱した1980年代に入っておりましたので、国鉄の列車といえば、地方ローカル色をまとった短い列車の編成が真っ先に思い浮かびます。
こちらは水戸線の下館駅で撮影したもの。クハは401系のものです。

茨城に引っ越してからは、年1〜2度東京の親戚の家を尋ね、そこをベースに東京の電車に乗りまくるのが最高のご褒美でした。
その道すがら、東北線の小山で撮ったもの、ホームの向かいにはサロンエクスプレス東京が止まっています。