夏の北陸旅行01-切符のハナシ ― 2024年08月21日 05:55
毎年恒例の夏の旅行ですが、今年も決行となり9月中旬の連休に行くことにしました。行き先は新幹線が開通した北陸(福井・石川)です。
今回の旅行では一気に北陸新幹線の全線に乗ってみようと思い、ルートを検討した結果、埼玉→米原→福井→金沢→埼玉の「一筆書き切符」にしました。また、乗車券・特急券の割引に期待し「レール&レンタカー」を使うことにしました。
しかしこのレール&レンタカー、切符の購入はみどりの窓口限定であり、昨今待ち客が多いこと等何かと不便になったみどりの窓口に行くのは怠いとことです。自分も予後不良の鉄オタであるものの切符系の拘りは無いためできればネットで済ませたかったところです。
待ち客のいないローカル駅に残るみどりの窓口に行くことも考えましたが、万が一のキャンセルや旅程変更に対応できるよう、素直に自宅近くの大宮駅の窓口に出頭。久しぶりのみどりの窓口ですが、銀行などのように整理券を取って待つ方法になっておりました。幸い待ち時間の目安も表示されており、それによれば30分待ちとのことなので、それほどストレスを溜めることなく窓口の順番を待つことができました。
やはり待ち時間が長いと、カウンター前の表示器に出る待ち番号の遷移が気になってしまい、ちょっとでも番号の切り替わりが遅くなると「この鉄オタどんなエキセントリックな注文をしているんだそれはカスハラでは無いのか」とヤキモキしてきます。
そんな訳で30分ほど待って、滞りなく希望の切符を購入できました。
宿はネットで抑えてあるので、これでトラブルが無ければ旅行に行けるはずです。
妻と義母との山口旅行2日目 ― 2024年06月17日 23:00
今日は山口旅行の2日目、世は月曜日ですが夫婦で有給休暇を取って物見遊山です。
起きて朝食をいただいてからはまず、下関の唐戸市場に寄ってお土産の調達です。唐戸市場は下関でも有数の魚市場で、競りを行う広場のほか、小売をする店や食堂がいっぱい入っています。
市場内にあるフグの置物が可愛らしいです。ここで自宅用のふぐを始めとする海産品をいろいろ購入しました。
40分くらい唐戸市場を冷やかしてから、レンタカーで山陰本線沿いに北上します。
山陰本線は昨年の大雨の影響で、長門市〜小串間が現在運休しており、代行バスかレンタカーかでの移動とせざるを得ません。
1時間半近く車を転がして、角島大橋に到着。ここは本土と角島とを結ぶ橋で2000年に開業したものです。この橋の魅力といえば、海上を渡る風光明媚なこと。2022年に渡った宮古島の伊良部大橋を彷彿とさせる、海の上を往く爽快感が味わえます。
角島大橋を渡り満足したところで、もう1ヶ所立ち寄ります。寄ったのは現在運休中の山陰本線阿川駅。ここは作家の阿川佐和子とその父阿川弘之が著書で「阿川家ゆかりの地」と謳ったところです。「南蛮阿房列車(アガワ渓谷紅葉列車)」によれば、どこまでが本当のことか分かりませんが、原始蒙古族が朝鮮半島から日本に渡り阿川の地に辿り着いた、可能性もある、と記されています。
今は駅舎もコンパクトなものに建て替えられ、昔を偲ぶものはあまりありません。
そのまま車を東進させ、長門市の西端にある元乃隅神社に寄ります。ここは京都の伏見神社のように鳥居が立ち並ぶ風景が大変フォトジェニックなスポットです。妻がここに行きたいと思っていたことから立ち寄りましたが、確かに海の上の半島に立ち並ぶ鳥居は壮観でした。はるばる来てよかったです。
元乃隅神社で面白かったのが「鳥居の上にある賽銭箱」。ここまでお金を投げて入れば願いが叶うという言い伝えの賽銭箱です。球技はからっきし駄目な自分でしたが、鳥居上への賽銭の投げ銭にチャレンジしたところなんと2回でIN。半分終わろうとしておりますが、今年はいい事がありそうです。
時間もおしてきましたので長門市の長門湯本温泉にある老舗の蕎麦屋で、山口名物の「瓦そば」をいただきます。これは熱した黒瓦に茶そばと具を載せて供されるもので、焼きそばのような食感が味わえます。
東京ではほとんど見ない山口名物で、美味しかったです。
こちらも運休中の美祢線沿いに南下し、帰りの飛行機が出るちょうど1時間前に山口宇部空港に到着。無事レンタカーを返して旅行は御開きとなりました。
最後は羽田空港で、旅行の無事執行を祝って3人で乾杯しました。
この時期に旅行をするのは珍しいですが、天気にも恵まれ(ちょうど今日山口県が梅雨入りしましたが、雨には降られずに済みました)、大変いい旅行になりました。
妻と義母との山口旅行1日目 ― 2024年06月16日 23:14
突然ですが、妻が「山口名産の瓦そばを食べたい」と言い出したため、義母を連れて1泊2日で山口旅行に行くことになりました。
最初ツアーで行こう、という話でしたが、2月の旅行の時同様ツアーが催されるかどうか怪しかったため、飛行機と宿のダイナミックパッケージを手配。一人3万円強、ということでまぁまぁな値段となりました。旅費はゴールデンウィークは家に閉じこもることで捻出。
で旅行当日、まさかの寝坊してしまいちょっと肝を冷やしましたが、なんとか巻き返しをして、結果的には予定の電車に乗れて羽田空港到着。
国内線の飛行機に乗るときは、万が一の電車トラブルに巻き込まれても飛行機に乗りはぐれないよう、出発1時間以上前に空港に着いているようにしております。保安検査も予想以上に空いており、結果的に1時間も飛行場で時間潰しをすることになりました。
今回の飛行機はバスラウンジのため、地上を行き交うランプバスや作業車を見ながらの搭乗待ちです。
なお、バスラウンジの売店は思いの外ショボく、欲しいと思っていたノンアルコールビール(午後は運転が控えているため)は買えませんでした。
そんなこんなで飛行機(ANA693便山口宇部空港行き)に搭乗。
途中羽田空港では離陸待ちの時間が長く、飛行機がドアを閉じてから離陸するまで30分近くかかってしまいました。
それでも離陸すれば揺れもあまりなく、快適な空の旅となりました。
飛行機は名古屋、大阪、岡山、広島と新幹線沿いを飛んで山口へ。途中名古屋港を跨ぐ高速道路「名港トリトン」も機内から見渡すことができました。
1時間のフライトを終えて山口宇部空港に着陸しましたが、どうも妻の具合が乗り物酔いで芳しくない状況。あまり無理はさせられないと思い、予定していた秋芳洞訪問はカットして、借りておいたレンタカーで一路下関に向かうことにしました。
そんな中でもちょっと立ち寄り。
今回の山口旅行で個人的一番の目当てが美祢市役所で保存されているC58 36。
この機関車、昭和42年の水戸線電化まで小山・水戸を根城にして水戸線の列車を牽いており、電化の後も解体を逃れて山口の地に転籍して最後の奉公をした実績があります。
水戸線を識る者として一度は目にしておきたいカマでしたので、こうして会えて大満足です。持参したNゲージ模型と並べて記念撮影。
美祢市はセメントの工業都市で、昔はセメントを貨物列車で搬出していた歴史もありましたが、昭和50年代に貨物は専用道路経由の輸送に切り替えられ、美祢線は大雨災害でも復旧されない路線として休止状態に置かれています。
引き続き高速道路に乗ってレンタカーで下関へ。予定より早く宿に着いたので、晩酌の酒の買い出しついでに下関駅へ。
小学生時代の憧れだった115系3000番台がホームで待機しておりました。
ホームは昔からの優等列車を受け入れる長いホームに立派な屋根がかかっているものでしたが、4両分しか段差を無くするための嵩上げがなされておらず、それがかえって侘しく見えてしまいます。
夕食は、義母のリクエストで下関市内でふぐをいただきました。まずはひれ酒で乾杯です。
お店で出てきたふぐ料理の中でも特に印象的だったのは焼ふぐ。牛タンみたいにふぐの切身を焼いて食べるのですが、肉厚でとても美味しかったです。
ふぐだけでお腹が一杯になりました。ひれ酒のおかげでベロベロになりつつもホテルまで生還しました。
弾丸!冬の青森旅行02-冬の八甲田山温泉巡り ― 2024年02月17日 23:24
泊まったホテルは陸奥湾・津軽海峡が見渡せる部屋で、凍てついた街の外に広がる海が大変幻想的でした。
レンタカーを借りて、K氏と合流。今回の旅行の目的は「八甲田山から見える樹氷群」ということで、ところどころ圧雪になっている観光道路を走って登ります。
しかし、八甲田山頂上行きロープウェー駅に着いて分かったのが、ロープウェーに乗るのに2時間待ちを強いられる混雑。
貴重な青森での時間を混雑待ちで浪費したくないので、話し合って「八甲田山から見える樹氷群」は諦めることにしました。そして次の旅行の課題が出来ました。
方針転換してもう少し山を登って酸ヶ湯温泉に向かいます。
雪明かりが窓から漏れる酸ヶ湯温泉は幻想的でしたが、熱い湯に浸かっていたことから軽い湯当たりを起こしてしまい、早々に千人風呂から出て休息を取りました。
そのまま城ケ倉から西に逸れて黒石方面に降ります。今日は天気が大変よく、雪山の向こうに岩木山がハッキリ見えました。
山を降りる途中、黒石の街外れにある温湯温泉に立ち寄り。湯当たりも治ってきたことから2件目のお風呂に。ここの共同浴場は、源泉掛け流しの割に大人一人300円と大変リーズナブルな浴場でした。
最後に黒石の市街地に向かい、こみせ通りの観光をして、お土産に地酒を買って青森に戻ります。
青森では所用で別行動だったK氏夫人と合流し、駅前のA-FACTORYにあるレストランで夕食をご馳走になりました。
2時間ほど会食し、帰りの時間になりましたので、名残惜しいですが K氏夫妻と別れ、最終新幹線に乗り東京に戻ります。
今回の一泊二日の弾丸旅行、暖冬の中前日に雪が降り雪化粧したところ、旅行当日には天気に恵まれ(恵まれ過ぎ?)た旅行となり、満足度の高いものとなりました。何より青森在住のK氏夫妻には色々お世話になり、感謝することこの上ありません。
弾丸!冬の青森旅行01-津軽鉄道ストーブ列車 ― 2024年02月16日 23:31
きっかけは手元にあった某大手旅行会社の旅行券。生前に親にプレゼントしたもののコロナ禍に突入してしまい使う機会がないままうちの手元に戻ってきたものです。
あまり某大手旅行会社の扱う旅行には興味を惹かれず、旅行券がダブついていたままでした。しかし今年に入って、旅行券を消費するのにふさわしいツアー旅行「八甲田山の樹氷と津軽鉄道ストーブ列車の旅」を見つけ、そのツアー参加費用に旅行券を充てれば、格安で青森に行ける、と思って申し込みをしました。
しかしそう問屋は卸さず、主催旅行は参加者不足で催行中止。こっちはツアー申し込み時点で青森旅行に行く気全開になっており、梯子を外された格好になりました。
一旦湧き上がった青森旅行熱は冷めず、我慢できずにツアーと同じ日程でJRのダイナミックパッケージを申し込んで、青森旅行を強行開催しました。
まずは大宮駅に行き、東北新幹線に乗車です。
今年は暖冬で、本来なら冬真っ盛りのこの時期でも雪が積もっておらず、岩手県と青森県の県境あたりでようやく車窓が雪景色になりました。
終点の新青森で新幹線を降り、奥羽本線・五能線と乗り換え、五所川原を目指します。
五所川原から津軽鉄道に乗り換え、一旦金木駅で下車。物産館に立ち寄り時間を潰します。
ここの向かいには太宰治の生家「斜陽館」がありましたが、列車の待ち時間の都合で中には入らず、外観だけ見て撤収しました。
終点の津軽中里まで再びワンマンのディーゼルカーで向かい、折り返しでいよいよストーブ列車に乗り込みます。
4両編成の列車は、前2両が追加料金なしの普通列車、後ろ2両が旧国鉄客車のストーブ列車です。
写真がストーブ列車の売り、石炭焚きのダルマストーブです。
この上で車内販売のスルメをアテンダントさんが焼いてくれます。
客車は、戦後まもない昭和23年に造られたオハフ33は木造の室内、戦後から少し落ち着いた昭和29年に造られたオハ46はペンキ塗りの室内となっております。
車内は本日から発売になった「キュンパス」とかインバウンド好調とかの影響とかで満員御礼。早めに津軽中里駅折り返しで帰りの切符購入の列に並んでいたことから、オハフ33のストーブ前という最良の席にありつけました。(オハ46のDT47台車がもたらす良い乗り心地も捨てがたいですが)
車内販売ではスルメだけではなく酒も売っており、さながら常磐線のような酒盛りができます。
津軽鉄道の車内も雪景色。今年は暖冬のためここまで雪景色になるのは珍しいとのこと。
40分強、大満足の旧型客車の旅でした。
津軽鉄道のストーブ列車に乗ったら、青森に急行し、仕事が終わってから合流してくれたK氏ご夫妻と合流して乾杯。話に花を咲かせながら2次会までお付き合いいただきました。
最近のコメント