今あるものは今しか乗れない〜はまかぜ弾丸紀行〜2010年05月11日 22:21


餘部鉄橋

「今あるものは今しか乗れない」
自分と入れ違いに卒業していった、大学鉄研の先輩が遺して行った、好きな台詞です。
国鉄臭い特急形気動車キハ181系も、明治時代の土木遺産である餘部鉄橋も、今しか乗れない(しかももう少し経つと「葬式鉄」騒ぎになりまったりと楽しめない)との思いが昂じて、連休最終週の土曜日にとんぼ返りで楽しんできました。

千葉交通の高速バス
まず関東〜関西の移動は、千葉交通の高速バス(秋葉原〜京都往復12,500円)で。当初は「さよなら1000円高速ツアー」と銘打って自家用車で関西入りすることを考えたのですが、この高速バスの方が安い!とのことで予定変更です。
本当は「ツアーバス」の方がより安いのですが・・・何となくツアーバスは好きになれないのです。

春の関西1デイパス
目標とする兵庫県北部は、いい切符が無い(2人同時工程ならいい切符があるのですが・・・)のですが、普通乗車券で往復するのも味気なかったので、駅で売っている「春の関西1デイパス」を購入し、JRの改札口をくぐります。

で、乗ったのが・・・
京阪1000形電車
何故か京阪電車。この「春の関西1デイパス」は、JRだけでなく京阪または南海線も乗る事が出来ますので、京阪間の移動は18きっぷ旅行で使い慣れたJRではなく使う機会が少ない私鉄にしました。
それにしても写真の1000系電車、京阪電車らしからぬ丸みの少ないクラシックな外観に対して妙に近代的な前面、もともと旧型車だった車両を何度も更新・改修して現在に至る車両の履歴等、ちょっと調べただけでもなかなかの曲者です。

きつねうどん
大阪に着いてから駅のうどん屋で朝食。薄口のスープに大きくて甘いきつねの味が引き立ちます。これを食べると改めて「関西に来た」感がひとしお。。。
ちなみに昼食は大阪駅のキオスクで売っていた「旅膳」を購入。味はともかく「地域性」とか「個性」とかが感じられない、ちょっと残念な弁当でした。

特急はまかぜ
かくして、今回の旅行での目玉、国鉄時代に製造されたキハ181系「はまかぜ1号」に乗車。4両編成の列車は、土曜日でしたが座席は半分くらいの埋まり具合でした。
この「はまかぜ」にも間もなく新車が投入されるため、今乗っておかないと後では二度と乗れません。それがために今回無理無理に旅行に出掛ける事にしました。
キハ181系気動車は、昭和40年代に製造された大出力エンジンを持つ特急用気動車で、中央西線、奥羽本線、伯備線や土讃線など当時電化が進んでいなかった山岳線を主体に使用されました。しかしながら車両の特性(エンジン・変速機の性格)等から山岳線での使用では故障が多発し、むしろ平坦線での高速運行(北海道等)に向いている、との評価もあります。
最後まで残った「はまかぜ」は、山岳線の播但線・山陰本線と平坦線で新快速に煽られながら逃げる東海道本線・山陽本線の激走とを楽しめる、なかなか興味深い存在です。

餘部鉄橋
普通列車に乗り換えて余部橋りょう(餘部鉄橋)に到着。この鉄橋は、明治時代にアメリカで製造された材料を日本に輸入して組み立てられた鉄橋であり、独特な形状から鉄道ファンに高い人気を誇っています。
こちらも老朽化が進んだ事から架替事業が進展しており、今年7月をもって現在の鉄橋の使用が中止されます。

餘部鉄橋架替工事
架替工事の現場。いまの鉄橋のすぐ北側にコンクリート製の橋が架かっています、鉄橋の両側は駅とトンネルに挟まれており、桁の一部がカーブしています。ここは7月から8月にかけて列車が運休する際、旧鉄橋の一部を撤去してから桁を移動して固定するものと考えられます。このあたりも設計・施工に苦心した所ではないでしょうか。

慰霊碑と信号機
餘部鉄橋の下には、昭和61年に発生した列車転落事故の慰霊碑があります。犠牲者の冥福と鉄道の安全運行を願って掌を合わせたあと、仮設の餘部駅に戻ります。鉄橋の手前には強風が吹いた際に列車を停める信号機が立っていました。

そのまま上り列車に乗り、その日の夜出発の夜行バスで慌ただしく関東に帰ってきました。
はまかぜも餘部鉄橋も、間もなく新しい世代に代替わりすることが確定しており、いまの形態を懐かしむ人がこれから多く訪れるものと予想されます。今回はは全くその兆候は見られない満足行く旅行でしたが、昨今騒がれる「過激な騒動」になることなく彼らが引退できる事を願ってやみません。