2000年頃の那覇バスターミナル2015年07月07日 07:35

昨日も目一杯働いて、疲れて帰り。平日は帰って寝るだけの日々が続いております。来週早めの夏休みを取りましたが、こんな調子ではホントに休めるのか心配です。

それでも、胸張って休める毎年の夏休みは、例年少し無理して遠出の旅行をするのが習慣になっております。
今年も年に一度の長距離旅行を夢見て、旅行の予約だけは早々に済ませておき、仕事も夏休みを外れるよう可能な範囲で調整しました。
そんな今年の行き先は・・・
久々に沖縄旅行を奮発しました。

はじめて渡沖したのが就職して2年目の2000年(まだ25歳)。社会人になりまとまった収入が入るようになり、飛行機で行くような大掛かりな旅も手が出るようになりました。
2000年当時、まだゆいレールは絶賛工事中。バスとタクシーが交通機関の主役でした。

当時の那覇バスターミナルはご覧の通り。本島内各地に向かう路線バスがひしめき合っていますが、凄いのはその車両達!
バスファンなら卒倒待ったなしの素晴らしい車両達が踵を接して待機しています。
車体後ろのエンジンルームが大きく開いたモノコックバスも当たり前!2000年当時は、まだ1978年の「ナナサンマル(道路が右側通行だったものを、本土復帰に合わせて左側通行に切り替わった)」で一斉に導入した車両が大量に残っていました。
もう感激、感動。初めての沖縄では観光もそこそこにバスの尻ばかり追いかけていました。

あれから15年。
ひと昔半が経ち、世の中も自分も、大きく変わってしまいました。
まず日本や沖縄を取り巻く状況が大きく変わり、政治的な事もあり詳細は省きますがが、世の中の「空気」とその「認知」とががだいぶ変化したように感じられます。
島の交通も、モノレールが出来て、4社あったバス会社の半分が破産し(本土のタクシー会社が進出して両者とも買収した)、あれだけ残っていたナナサンマル車もすっかりいなくなってしまいました。15年の間、2010年2011年と2回沖縄に行きましたが、会社によってはナナサンマル車を保存の対象としており、それを友人達と貸し切りで走らせたりもしました

そんな自分も、15年経てばすっかりキモいオッサン。その間で遅い結婚をしたりダイビングのライセンスを取ったり、加齢以外にもやれる事やれない事など渡沖環境が変わりました。

いろんな話があるけれど、実際行ってみないと分からない。はじめての渡沖から15年、どんな風景がありどんな感想を持つのでしょうか。

楽しみです。