沖縄旅行2015-2 戦後70年、「ケービン」の痕跡を追う2015年07月13日 06:00

沖縄に着いた翌日は、妻の運転練習も兼ねて、バスではなかなか行きにくい、本島東部の海中道路方面を観光しましたが、その帰りに1箇所立ち寄りたいところがありリクエストをして寄ってもらいました。
少し古めかしいコンクリート造りの平屋建に、途中で切れた9本のコンクリート柱。
実はここが、戦前に沖縄島内を運行していた「沖縄県営鉄道」の終点、与那原駅舎です。
ここから、写真奥手の那覇方向に、鉄道路線が走っていました。

沖縄県営鉄道は、1914年に那覇から東海岸の与那原町まで開業し、以降南部の糸満市・中部の嘉手納町まで開業した鉄道です。
規格は、黒部のトロッコ列車なみの線路幅76cmと、線路幅が1m以上ある通常の鉄道と比べて小ぶりな「軽便鉄道」と呼ばれるもの。それが鈍って、「ケービン(軽便の訛り)」とも呼ばれていました。
いまでこそ沖縄本島各地は道路が網の目のように整備され、自動車で難なく物流を行うことができますが、戦前当時は道路も自動車も全く発達しておらず、那覇から本島北部への輸送はもっぱら船に頼っており、船の発着点として与那原町は大きく発展していました。
那覇・首里と東部の連絡拠点であった与那原を結ぶため、県営鉄道は最初に与那原まで作られたものと思われます。

鉄筋コンクリート製の駅舎から振り返ると、港までまっすぐ伸びる通りが駅を行き止まりにして伸びています。
全国各地の多くの鉄道駅がそうであったように、駅の建物を起点にしてまっすぐ伸びるこの通りは、まぎれもなくここが鉄道駅であったことを強く物語っています。

駅舎は、軽便鉄道にしては珍しいコンクリート製のものでしたが、ちょうど70年前の沖縄戦で破壊され、軽便鉄道自体もそのまま運行を終え、鉄道用地は道路や軍用地に、線路は軍用の鉄材に転用されて行きました。
与那原駅舎自体は(コンクリート製でしたので)骨組み等が残っており、これを再利用して与那原町役場庁舎に再築され、役場や農協の施設として使われていました。

現在、与那原駅舎は、与那原町で「軽便与那原駅舎展示資料館」として、軽便鉄道当時のコンクリート平屋建ての建物に建て直されています。
「途中で切れた9本のコンクリート柱」は、役場として使用されていた初代与那原駅舎の部材で、これだけは当時のものが残っていました。
展示館内は軽便鉄道当時の資料や備品類・再現ジオラマ、映像資料が展示されております。
展示館の入場券は当時の切符風、日付は本物の打刻機に自分で通して入れられます。

沖縄戦後の混乱で、なかなか当時の遺構が残っていなかったり文字通り地中に埋まっている沖縄県営鉄道の痕跡ですが、遺構も資料館として整理展示する枠組みができたこともあり、大事な資料としてずっと残していきたいものです。

一方の軽便鉄道の発着点である那覇、こちらはバスターミナルとして使用されています。
現在は・・・
バスターミナル自身が再開発の対象となり、閉鎖して工事中になっていました。