2016国電の旅04-103!103!!103!!!2016年08月17日 09:00

明けて15日。盆休みの平日、電車は平日ダイヤでお客様は少なめ。
今回の旅行の一番の目的、103系電車に乗りまくる1日が始まりました。

家族が寝てる中、朝5時に宿を出て朝食もとらずに奈良へ。
まず迎えるのは321Y、大阪行き区間快速です。
朝ラッシュの最ピーク時に大阪に着く最混雑時間帯ならではの一番輸送力も無理も効く103系列車8両編成の輸送力列車です。

この日は最後尾の車両にクハ103-135という古参車が付いていました。昭和44年に山手線に投入された車両です。紆余曲折があり、元の色に近いウグイス色に戻りました。
一方のクハ103-226。こちらも山手線に投入された新製冷房車です。
さて乗車。モハ103を選びました。
区間快速は、奈良を出て法隆寺に着くまではかなりの快速で走りますが、王寺から先は線路が詰まっているせいか流すように走っていきます。
音と振動が身にしみる走りを期待していた中、少々消化不良ですが、念願の103系本来の使われ方をする電車に乗れたから良しとしましょう。

天王寺に着いてからは、もう一方の103系の雄、阪和線に乗り換えます。
自分の住んでいた京浜東北線の最新型である103系高運転台車が多数残る阪和線。クハ103-1を目当てに、5年前も乗りに行きました。
しかし、今年から普通用の103系を新車で置き換えるようになり、順次引退が始まり予断を許さない状況です。
あまり「葬式騒ぎ」は好きではないですが、最後に阪和線の103系にもう一度乗りたいがための、今回の大阪旅行を提案したようなものです。
私鉄そのものの天王寺駅阪和線ホームに、颯爽と高運転台103系(クハ103-797)が到着。首都圏へのATC整備に伴う先頭車増備が一通り完了し、再び関西地区にも新製クハが入るようになった時代の車両です。
列車は「快速 鳳」行きの方向幕を出しており、製造から35年以上経った今なおその現役っぷりを期待させられます(実際には方向幕はエラーで、後ほど修正されています)。

今回、阪和線103系にどう向き合うか考えた結果、浅香駅の大和川橋梁あたりで撮るイメージを持っていたものの「確信」が持てず、何をするかちゃんと決めていないまま来阪していました。
最初は、朝ラッシュ時に天王寺まで通勤輸送をした後、折り返しで車庫に戻る列車を惰性で撮り続けていましたが、時刻表や運用表を見ていた結果、ちょうど良い時間に1本だけ103系が充当される区間快速電車があることを発見。先の奈良線区間快速が流すような走りで消化不良だったこともあり、堺市から乗車しようと思いましたが、残念ながらこの日は205系。
「もう、ここまで。。。」何か、緊張の糸というか張り詰めていたものが切れてしまいました。

そのまま惰性で鳳まで移動。ここで入庫する103系を撮ることにしました。
まず飛び込んできたのはクハ103-148。こちらは先の奈良線と同時期の1969年に製造された電車で、関西地区でずっと運用されているもの。
早期に延命工事を受けた関係から、屋上の通風器も残っております。
光線の関係で正面にしか明かりが廻りませんでしたが、青22号単色の塗装や前面の補強もされていないこともあり、国鉄時代からの面影が強く残っている1両です。

関西地区では、先に述べた国鉄時代の首都圏ATC化の影響で先頭車のみ首都圏から転用、中間車は比較的年式の新しい車両が配置されていました。
これらを引き継いだJR西日本は、1990年代末に、残存する103系を40年間陳腐化せずに使えるよう、外観から内装まで徹底的に補修した「40N体質改善車」を登場させます。もはや原型をとどめない更新っぷりに度肝を抜かれましたが、時代に合わせて適正な姿にアップデートする姿勢に、自分は当時も今もいたく感心したものです。
ちなみに、40N体質改善車が出た当時、特に鉄道に興味がない一般の人にも、従来の車両と普通に混血して使われていたことから、すぐに「これは新車ではない」とバレてしまった、という話を聞いたことがあります。

そんなサイボーグのような40N体質改善車ですが、元の103系そのものの製造が終了して40年経とうとしており、老朽化による引退が始まっております。
20代の頃に登場して度肝を抜かせられた40N体質改善車が引退とは、自分もトシを取り過ぎたものです。

一方こちらは30N体質改善車。
延命期間を30年程度に想定し、40N体質改善のメニューを簡略化したものです。
屋上のベンチレータは撤去され側窓は埋められていますが、比較的原型のイメージが残ったもの。京浜東北線の面影が残る高運転台の姿が凛々しいです。

さて最後は原型の面影が残る2輌。
写真上は、まぁひどい写真ですが羽衣線のクモハ103ー2503。片町線の全線電化用に、モハ103を先頭車化改造したものです。
JR西日本の103系電車では、前面のガラス押さえがほとんどの車両で金属の押さえに改善されておりますが、このクモハ103のみは原型のHゴムのまま。顔つきもJR西日本で主流だった、ATC設置未対応の低運転台と、国鉄型よりも黒鉄臭い外観が残っています。
この車両は、羽衣線専用で残っています。
写真下はクハ103-193。昭和47年度のいわゆる「1次改良車」と呼ばれる、窓や前面が改良されたグループです。
屋上に残るベンチレータや銀色のままのサッシからも分かる通り、この車両、実は国鉄時代に特別保全工事を受けただけの、大変貴重な1両です。前面や戸袋窓は改造されていますが、見る人が見れば「よくこの姿で残っていた」大変貴重な1両です。

車内。
写真上(モハ103-397)は、扇風機が廻ることからもわかるよう、体質改善工事未実施車。戸袋窓が埋められ、内装板や床板が更新されて綺麗になっているものの、原型の雰囲気が各所に残っています。
写真下(モハ102-2028)は体質改善30N工事車。外観こそ原型の雰囲気が強く残っていますが、内装は座席風除けの設置や内装板の取り替え、扇風機からファンデリアへの更新など、内装は原型から大きく姿を変えています。

そのまま和歌山まで行き、帰りは王寺経由で大阪に戻りましたが、おおさか東線でも幸いなことに103系に巡り会えました。
奈良車庫に所属する貴重な6両編成3本のうち1本です。

最後、和田岬線にも足を伸ばしました。
和田岬線は、電化されてから専用の103系が1本だけ残り、朝晩の通勤電車に使用されております。
距離も短く運用も単調ですが、この路線も、103系がその目的に適って使用される、貴重な1路線です。
最後は和田岬往復で、締めました。

正直に言うと、まだ今の時点では阪和線に残る103系の取り替えが始まったばかりで、大阪環状線への新車投入と代替車の玉突きはまだ始まっていません。
そのため、「残る103系」という割には車両数も改造バリエーションもまだ多く、予習するのも現地で実見するのも膨大な作業量の前にへこたれてしまう状況です。しかし、それも本当に今のうち。

「今あるものは今しか乗れない」。自分は、今回の旅行では中途半端に終わったところもあり最後息切れもして不満も残りますが、それでも行って乗って撮って本当によかったです。

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