ドタバタソウル紀行 '19-03 8/17AM-南大門・明洞と路線バス体験2019年08月18日 20:41

ソウル2日目は朝8時前に目が覚めました。まず朝食を食べに行きます。
日本であらかじめチェックしていた明洞北の浪漫食堂まで、ソウル市庁近くのホテルから歩いていきます。
そこでキムパプ(海苔巻き・写真上)をいただきます。日本の太巻き寿司とは異なり、米は酢飯ではなく、中にはそぼろ、野菜、チーズが入っております。
その他、スンデと呼ばれる腸詰みたいなもの(写真下)も注文。血と春雨を腸詰にしたもので見た目はグロテスクですが、食べれば見た目よりあっさりしており、美味しくいただきました。

その後、腹ごなしも兼ねて徒歩で南大門市場まで歩きます。
朝ということもあり人はあまりいませんでしたが、市場の通りを歩いているだけで、視覚だけでなく魚や香辛料など様々な食べ物の匂いが入り乱れており、五感に訴えかけてきます。ちょうど写真のあたりは魚売り場でしょうか。
通りを離れ、市場の雑踏の中に入ります。写真はカルチチョリム通りと呼ばれるタチウオの辛煮を出してくれる料理屋が、狭い中にひしめき合っております。ソウルでは、同じところに同じような業態の飲食店が集まる傾向があります。

その後明洞に向かい、家族の買い物に付き合います。概ね1〜2時間は歩き続けだったでしょうか。自分も洋服を購入するよう勧められましたが、特に欲しい洋服ななく、街中のキャラクター等をみて時間をつぶしました。

街中をずっと歩いていたので、途中で休憩時間を取り、ピンスと呼ばれるかき氷をいただきました。
きな粉がたっぷりかかっているミルク仕立てのかき氷は、大変美味しかったです。

明洞からは路線バスで昼食の店に向かいました。
ソウル市内の路線バスに乗ってみたかったことから、事前に日本で情報を集めて、家族に説明がつき旅程に組み込める工程を考えておりました。

ソウルでは、路線バスが市内交通の主役の一旦を担っておりますが、路線数が多すぎることや外国語案内の不足(路線情報が網羅されている外国語サイトや地図状のマップがない)から、外国人の旅行に使いやすいとは言えません。

今回の旅行でも日本であらかじめネットを使って、日本語で検索して分かる範囲で地下鉄の駅をショートカットする路線を調べました。その結果、今回使うことにしたのは、明洞〜イテウォン(地下鉄6号線の駅)間の移動で、地下鉄と異なり乗り換えなしで結ぶブルーバス421系統です。
明洞からイテウォン駅に421系統のバスで行くためには、明洞駅5番出口のバス停から9停留所目で降ります。
路線バスの車両は1つの路線に専用で使われ、路線番号が車体に書かれている他、バスの入口部分に路線番号が旗のように表示されております。車内にも韓国語と英語の路線案内が窓にシール貼りで表示されており、だいぶこれに助けられました。
路線バスの車内の様子です。
路線バスの運行はかなり荒く、日本とは異なり乗客が着席したのを確認せずに発車しますので、乗ったらすぐに手すりに捕まる等して、車内で転倒しないようにする必要があります。

ソウルでは、路線バスが名古屋の基幹バス、あるいは路面電車のように、道路の中央を通っている箇所もあり(バス専用の信号もある)、バスの速達性向上に役立っています。停留所も道路の真ん中にあり、横断歩道を渡って停留所にアクセスします。
バスの運行が路側の停車車両に左右されないこと、バスレーンの確保に効果的なことから、路線バスの速度向上に効果がある施策であり、日本でも車線中央のバスレーンをもっと多く導入してほしいものです。

途中、ソウル駅近くの南大門を通過。バスの中で写真を撮りましたが、門前では何かの儀式が行われております。
また、ソウル駅を跨ぐ高架道路は、歩行者用道路に転用されており、市民の観光スポットになっています。

北東北に進路を取れ'18-9_青森市営バスとの再会2018年08月23日 20:00

さてさて、青森といえば青森市営バス(違)です。
まずは四半世紀前に撮った写真(1994年春)。
現在運行されているものと同じ富士重+いすゞの長尺車ですが、車体は1世代古い5E型、エンジンも旧世代のものを搭載しております。色調も窓下の帯が山吹色と現在のものと少々異なっております。

青森にゆかりのある人生を送っている、大学先輩のK氏との縁で何度か青森市に遊びに行っているうちに、市内の道が広い国道を、マイカーに伍して高出力エンジンを廻して加速してゆく様に惹かれるようになって来ました。

今なお地方公営企業体(バスとか水道とかは、地方自治体営といえども独立採算です)を保つ青森市営バス、最近では経営改善の一環でどんどん新車が入り、懐かしいツーステップ車が減る一方にあります。

次は青森の奥座敷こと浅虫温泉で撮った1枚。
浅虫地区はほとんどワンステップ・ノンステップ車に統一されたとの情報もありますが、今回はたまたま旧型のツーステップ車が運行されておりました。
富士重工+いすゞの懐かしい組み合わせです。

一方こちらは今年入ったばかりの新車。当然ノンステップ車です。

青森市営バスといえば大型車を好んで導入する会社でしたが、ここ数年は中型車の導入が進んでおり、だいぶ小ぶりな顔を見ることも多くなって来ました。
写真上はいすゞ、下は三菱ふそうの中型バスです。

一方こちらは古いツーステップバス、青森市で好んで導入された、日野の大型・高出力車です。
同じ日野のナンバー1番違い。凍結防止剤の散布の影響で、車体下回りの錆びがだいぶ進行しております。
初めて青森の地を踏んでから四半世紀、当時新車で大量導入されたこの世代の車両も、いよいよ老朽化が進んで取り替えられつつあります。

一方、青森市内を出入りする長距離路線。
こちらはJRバス東北。ごくごくオーソドックスな新車です。

こちらは十和田観光電鉄のエアロバス標準床車。側面方向幕など路線バスならではの装備もあり、どこからどう流れ着いたのか分からないが、エアロバスとは結びつかないブルーリボンカラーを纏っており、大変ゲテモノな1台です。
こちらは下北交通の富士重7E車、日産ディーゼルのV8エンジンが大変勇ましい1台です。観光バスや自家用バスの出自のようで、こちらもかなりゲテモノっぽい要素があります。
そんなこんなで青森駅前を発着するバスを眺めて過ごしていました。
駅とホテルとの間の往復に青森市営バスはちょくちょく乗りましたが、願わくばもう1度国道を爆走する市営バスに乗りたかったところです。

北東北に進路を取れ'18-5_岩手県交通バスとの再会2018年08月17日 05:22

東北新幹線に乗って、一ノ関に着く少し前の車窓左側に、岩手県交通のバスの車庫があります、
ここを見る度に「岩手に『帰ってきた』という感慨を抱きます。
「帰ってきた」というのも変な話ですが。
自分が埼玉に住んでいた幼稚園の頃、家の事情で国際興業の路線バスで毎日通園していており、当時当時の車両が中古で岩手に大量に渡っていると知ったのが大学に入ってから。
大学に入りバス趣味というものが世の中に存在することを知ってから、毎年のように古いバスを追って岩手詣でをしていました。

それも四半世紀前の話。当時待望の冷房車として新たに導入されたいすゞBUやCLMといった古豪は既になく、彼らを追い出した1990年代製のキュービックバスも既に追われる立場になっています。

旅程の各所で我儘を言って、彼らの姿を追ってみました。
まずは一ノ関。
駅前の空き家になっているビルの片隅にバスセンターがあり、待合室と切符売り場があります。
ワンマンバスの時代ながら、ここでは発車案内放送と発車ベルが流れ、バスの発車をコントロールする昔ながらの管制センターの役割も担っています。

ここから厳美渓に。乗ったのは幸先良く国際興業中古でした。車内には「7526」と当時の車番も残っております。

厳美渓から平泉までは平泉ナンバーの導入されたばかりの中古車。 富士重工の新7E車体でもあることから、2000年代に入って製造されたものと思われます。
側面方向幕の移設痕や車両後部の仕様から見ると、相模鉄道あたりの中古でしょうか。

平泉には、三菱ふそうのバスもいました。
これは屋上の通風機の形や、前面の拡大窓が埋められた痕を見ると、神奈川中央交通の中古と思われますが,如何でしょうか。

今度は花巻に。花巻駅前にいたのは国際興業中古ですが、リフト付きバスとのことで、浦和市内循環線に導入された車両が流れてきたものと思われます。

もう1枚花巻から。マルカン食堂から駅まで戻るのにこの車両に乗ってきましたが、この車両は都営バスの中古。車内に都営時代の銀杏柄のシートが残っていました。

場所は変わり盛岡市内。朝の忙しい時間の中、妻に10分だけ時間をいただいて撮ったものです。
旧塗装の青銀のバスがいました。これは自社発注の中型バスですが、20年以上にわたり使われてきたもので、車体裾の錆びが痛々しいです。

こちらの盛岡ナンバーのバス、中古車の出所はわかりませんが、クーラーや側面ルーバーの形状から、2006年以降のPJ-規格のバスと思われます。車両には特に何も書かれていませんが、ノンステップバスです。
それにしてもPJ-規格のノンステップバスが普通に中古で流通しているとは、時代も変わったものです。

こちらは中古車に見えますが、実は新車。岩手県交通が30年以上ぶりに大型バスの新車を購入下とのことで、バスファンの間でも話題になった車両です。

これは、どこの中古でしょうか。これだけはパッと見で判断がつきません。

これは国際興業中古。キュービックバスの最後に導入された1995年製の車両です。
車体の状態もさほど悪そうには見えません。

こちらも国際興業中古。青銀の老朽車を置き換えるために大量に導入されたものですが、車体に傷みも見られ、今となっては置き換えられる方に廻ってしまっています。

こちらも国際興業中古。今でも都市部で主役の車両が中古で流れ出てきました。
これから先、この丸まった車体のエルガが大量に放出されると思われ、キュービックバスも先が見えてきたようで、撮るなら思い立ったが吉日、お早めにです。

写真発掘祭2017年06月25日 18:17

金曜日から日曜日まで、お悔み事があってバタバタで、今ようやく帰宅して一息ついたところです。本来ならこの週末は、CKCのオフ会で伊豆に行っている予定だったのですが、こちらはなくなく欠席。。。

告別式で流す写真を捜していたところ、1980年代に撮った乗り物の写真がイロイロ発掘されたので、この機会にちょっと晒してみます。
まずは東武線の貨物。多分佐野駅近くで撮ったものですが、ホキ1両に黒いトキが続きます。
いろんな意味で弊ブロクにふさわしい1枚になりました。

こちらはJRの貨物。トリコロールカラーの車運車を牽くEF65が小金井駅を通過します。
日産上三川工場最寄りの宇都宮貨物ターミナル発を出る列車、積荷は当時ブームになったシーマでしょうか。。。。

こちらは小山電車区近くから撮った1枚。非冷房のサハ115です。
まだサボを使っていた時代、宇都宮線の目印だった青地サボがすごく懐かしいです。

こちらは修学旅行の際に撮った1枚。下館から友部周りで仕立てられた集約臨の車内から撮った、石岡の鹿島鉄道です。
この列車、車両はれっきとした特急型列車でしたが、団臨の悲しさか、北小金駅付近の待避線に入ったと思ったらエメラルドグリーンの103系電車に抜かれ、学校では「鈍行より遅い特急」なる不名誉な渾名がついてしまいました。

こちらは新幹線の車内から流し撮りした、名古屋地区の117系快速電車。面白半分で流し撮りをしていたのですが、やっぱりなかなか決まらない中、一番よく決まった1枚がこれ。
よく見たら1枚窓の1985年発注車です。

ここからはバス編です。
JNRマークが凛々しい貸切バス。しかしこちらは貸切表示部分が電動方向幕になっている、路線・貸切兼用車です。

もう1台のJR東日本表示も相まって、JR発足1年間に見られた、JR東日本直営時代の写真でしょうか。
写真のキャプションを見ると、1988年1月現像となっていました。

最後の1枚は、大井川鉄道バス。今は廃止になった、井川から新静岡に抜ける路線バスです。
長距離路線ですので、途中何度か休憩を挟む路線で、その休憩時に撮った1枚です。

当時のSL急行の事も思い出し、色々懐かしい思い出が蘇り、ホッコリしています。。。

オフシーズンの沖縄行お土産企画-わった〜走るバス博物館20162016年12月03日 13:40


初めて沖縄に行った2000年、当時は車齢23年を超える1978年製造の「730車」が、老朽化が進む中まだ多数が残っていました。
バス車両ファン的にはもう失神するくらい嬉しいのですが、経営サイドからするといくら中古車を入れても追いつかない車両の老朽化は、バス事業が苦しくなりつつある中、相当悩ましい問題だったと思われます。
あれから16年。730車を置き換えるために、沖縄のバス会社が新車を買えていた最後の1992〜93年の車が、そろそろ車齢23年を越えようとしています。
もともとグレードの高い装備と、丁寧な板金・メンテナンスで、あまりくたびれた感はしませんが、改めて見ると「歴史は繰り返す」感がヒシヒシとします。
写真は、那覇バスの「沖縄22き408」の、2000年当時と現在(2016年)の姿です。

というわけで、こちらが本編(と言っては言い過ぎかも)というか、沖縄行ってバスの尻だけ追っかけているだけでも満足なバス党が送る、怒涛のお土産企画。
今年も南の島の博物館に、逝ってきます。

バス車両の更新問題ですが、ここ数年は自治体も支援してノンステップの新車への置き換えが勧められており、毎年数十台単位の新車が続々と入っています。
写真は今年入った新車、最新型の日野ブルーリボンです。車内は普通の路線バスで、エンジンも小さい4気筒(排気量で比べれば、ヘタなアメリカンV8乗用車の方が大きい)ですが、これで名護から空港までの長距離幹線もこなします。

その一方で、当時新車で入った車両も老朽化が進行し、取り替えが進行しています。
写真は琉球バスの長距離用車。車体は少々くたびれているものの、色付きの引き違い窓、車内からもわかる背もたれの高い立派な椅子、他とは異なる青とオレンジの塗り分け、観光バスと見紛うような豪華な装備で、長距離幹線を何時間かけても乗っていられそうな豪華な車両です。
去年のバスグラフィックと見比べても、このあたりの車両はぶ減ってしまいました。

こちらは東陽バスの自社発注車。こちらは普通の路線バスのような外見ですが、窓も引き違いになっており、やはりこちらも長距離乗っても疲れなさそうなグレードの高さを感じさせます。

経営が厳しい中、大量に入った730車の置き換えをバス会社各社は進める必要があり、 1993年を境に、新車の導入が各社とも止まってしまい、中古車の導入が進むようになりました。広島電鉄が「走る電車博物館」と呼ばれていましたが、こちらも「走るバス博物館」と呼んでいいくらいです。
写真は沖縄バスの自家用バス出身の中古車。路線バスそのものの外見ですが、那覇への高速道路路線に使用されています。

こちらの琉球バスも自家用バスの中古。路線バスそのものの外見ですが、発進時のエンジンの音に違和感を感じて、すぐに凝視して見ると、室内の椅子が背の高いものを使っていたり、エンジンも強力なV8エンジンを使っていたりと、よくよく見れば自家用バスの出自が分かるようです。
沖縄では自家用バスの中古も、路線バスに多く転用されていました。

こちら東陽バスの自家用中古。
珍しいのは、国際通り(牧志)でもなく国道58号(久茂地)でもなく、モノレール沿いの裏道を進む路線。久茂地川沿いのこの道路をモノレールと並走するのは東陽バスだけです。

こちらは東陽バスの新旧中古車。
写真上は横浜市営バス上がりの中古車で、1988年製の車両。もう製造から30年が経とうとしています。写真では分かりませんが、導入にあたり、中扉を埋めて窓周りも違和感無いように仕上げた痕跡が残る珍車です。
写真下は新塗装の日野ブルーリボンシティ。車いすの乗車があり、中扉は埋められなくなりましたが、フルスモークの側面窓が謎の高級感(ここまで黒いとバスなのにヤンチャ感?)があります。

米軍スクールバス下がり
「琉球バスKK」のレタリングに、反転した昔ながらの塗り分けが特徴の、米軍スクールバス中古。当時の琉球バスが米軍スクールバス事業から撤退する際に路線バスに転用されたものです。
車内は各所に英語表記が残っていたり、椅子もアメリカ人の体格に合わせて作ってあったりと、各所にスクールバスの特徴が見られます。
これらの車両は、90番知花線で多く見られました。

那覇市は人口約40万人が狭い土地に集まって(人口密度8,000人/m2)暮らす大都市。交通のバスへの依存も高いです。市内線バスも、大量の旅客をスピーディに捌くため、郊外線とは異なり前払いの中降りで使用されています。
こちらも今となっては中古車が主流。都市部で使用された降車口の広い車両が、当時の仕様を活用して運用されており「走る大都市バス博物館」の様相です。
どれも同じいすゞキュービックですが、3者とも出自が異なり、写真上から、名古屋市の3扉車、国際興業の中扉4枚折戸車、京浜急行の所謂「スーパーワイドドア」車です。
特にスーパーワイドドアを活用しているのは、もう那覇ぐらいでは無いかと思われます。

琉球バス交通の前後扉中古車。どれも同じ日野ブルーリボンに見えますが、各々出自が異なります。前乗り前折には、前後扉の方が合っていそうです。
写真上が東武バス、真ん中の2枚が京阪バス、バンパーが交換されていたり色が塗り変えられたりしています。
写真下が大阪市営バスの中古。
同じようなバスでも、ちょっとした違いを見出すだけで、大変楽しいものです。

大体は網羅したつもりで満たされた感のある那覇のバスですが、やっぱり行けば行っただけ発見があります。
バスのためだけでも良い(と言ったら家族に怒らせそうですが)ので、やっぱりもう1度沖縄に行きたいです。