一般的に日本人は2つのことを気にしすぎると言われます ― 2010年01月09日 18:30
今年に入ってから、仕事関係でバタバタしています。
残業して、急な打ち合わせがあって、その帰り直帰した次の日は休日出勤して埋め合わせしたり、仕事の交渉相手と何故か明治時代の人車軌道の話で盛り上がったり(マテ
本当は成果に応じた超過勤務手当がくっついてくればいいのですが・・・。成果が伴わないので強く出れないです。
で、帰ってからもテレビもつけずにネット三昧の駄目人間。いろいろ読んでいて目に留まったのがこのコラム。永田公彦というパリ在住の日本人が日経のウエブサイトにアップしているものです。
つらつらと読んでいると、思わずある一節に目が行きました。
一般的に日本人は2つのことを気にしすぎると言われます。1つは、言葉の正確さです。こんな発音では……、文法的に合っているだろうか……です。2つ目は、周りの目です。こんなブロークンな英語だと、周りに恥ずかしい……、周りに迷惑ではないか……です。この正確さと周りへの気遣いは、日本人の美徳です。しかし、周りや文法がどうであれ、自分の考えを主張しなければ損をする個人主義社会では、頭のスイッチを切り替え、この2つのことを気にする必要は全くありません。
自分は他の人とのコミュニケーションや体を動かすスポーツは慨して苦手な方ですが、なんとなくその原因が分かった気がします。
「自分のやり方言い方体の動かし方が『合っている』か?」「自分のやり方言い方体の動かし方が『人から見られて自然』か?」
「本来の目的」よりも、そういう「相対的な視点」に囚われてきた気がします。
本当はこういう風に人のせいにしたくないのですが・・・・35年間この点で自分を責め続けてきたんだから、これくらい責任転嫁してもいいっすよね?
じゃあ課題は分かったとして、どうするか?その視点からの考察がないのは、ただのコドモかマスコミです。
という訳で、これまでの経験でそんなトラップに引っかからなかった事例を思い出してみます。
ケース1:ニューヨーク旅行
自分は数年前の夏休みにアメリカ・ニューヨークに旅行に行った事があったのですが、不思議とコミュニケーションで難儀した記憶はありません。話が通じなければ通じないで済む観光旅行だったのと、電話でのやりとりが無かった(電話での英会話はさすがに無理w)ので、筆談やらボディランゲージやらとにかく「コミュニケーションを取る」成果を得るのに精いっぱい(むしろそのプロセスも楽しんでいた)でした。なるほと「旅の恥は掻き捨て」とはよく言ったものです。
ケース2:水泳関連
デブは体脂肪率が高いから水に浮くから小さい頃から運動音痴でしたが、何故か水泳関連だけは苦手意識を持つ事なくここまで来れました。逆にいまクロールとか平泳ぎとかの泳法を勉強しようとしても、自己流との整合が取れなくて考えれば考えるほど頭がこんがらがってきます。頭ではなくて体が別の言葉で覚えてしまっているというのでしょうか・・・まぁこれで一生困る事はないしこれでもいいかと思ってます。
うまく行ったレアケースを解析してみると(そういう解析自体が良くないという指摘は的確過ぎるので却下)、「途中はいちいち細かく考えない」のが良い結果を招くような気がします。35年かかってついた癖を矯正するのは楽ではありませんが、頑張り過ぎないようにやってきたいと思います。
昨晩の反省はこんなところです(謎過ぎ・・・)
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