春の瀬戸内旅行03-大久野島でウサギと戯れる2025年06月01日 15:45

レンタカーを返却してから、呉線の電車で忠海駅に移動します。
写真は呉線の電車
忠海駅から客船で大久野島に渡ります。10分くらいの航海です。
写真は大久野島に渡る客船

大久野島は、広島県竹原市にある無人島で、戦時中は旧日本軍の毒ガス製造工場がありましたが、戦後レジャー開発が進みました。その後1971年に小学校から放たれたウサギが野生化し、現在では数百匹の野生化したウサギが島内に居て、観光のマスコット化しています。
写真は休暇村大久野島
写真は大久野島の宿泊施設である休暇村

島に住むウサギに餌を与えることは特に禁止されていないことから、今回の旅行ではウサギと戯れる用に大量のニンジンを持ってきました。
写真は島の野生うさぎに餌付けしている状況
早速野ウサギが食いつきます。
写真はうさぎのポッキーゲーム
ニンジンと一緒に少量のキャベツも持参してきましたが、キャベツはウサギたちに人気で子ウサギ同士で奪い合いになり、さながらポッキーゲームの様相を示しています。

休暇村で一晩宿泊した翌朝の大久野島。
写真は朝の大久野島
ホテルの前庭に多くの野ウサギが日向ぼっこしていました。

島でのゆっくりした時間が過ぎ、帰宅の時間になりました。
本州に戻る船が出る岸壁へ歩いて戻る途中、名残惜しそうに子ウサギを愛でます。
写真は大久野島の子ウサギ

本州に戻る船は大三島と忠海港を結ぶフェリーでした。
写真は忠海港行きのフェリー

そして三原から新幹線で帰京。多分これが最後になる500系グリーン車の座席に凭れて、今回の楽しい旅を反芻します。
写真は500系こだま号
あと義母との旅行も何回行けるか・・・また行きたいところです。

【春の瀬戸内旅行(2025.5/31〜6/1)まとめ】

春の瀬戸内旅行02-しまなみ海道ドライブ2025年05月31日 17:02

妻と義母との瀬戸内旅行2日目。今日はレンタカーを借りてしまなみ海道のドライブです。
しまなみ海道の橋は自転車・歩行者も渡れます(CNNで「世界で最も素晴らしい自転車道の1つ」として紹介されています)が、去年秋に妻が一人でしまなみ海道を自転車で巡った時、「もう自転車では行きたくない(橋に登るのにアップダウンが結構ある)」と言ったのでレンタカーを借りました。
写真は今日借りたレンタカー
しまなみ海道は1999年5月に広島と愛媛を結ぶ全ての11橋が開通しました。
その11橋は、瀬戸内出身の画家平山郁夫によって絵に描かれています。
写真は平山郁夫の水彩画

しまなみ海道の橋のほとんどは、高速道路の脇に自転車道が張り巡らされています。
写真は因島と生口島を結ぶ生口橋です。
写真は生口橋(助手席から撮影)

生口島では、高速道路を降りて島の各所を観光して廻りました。その途中で、ジェラートをいただきます。
写真は生口島で食べたジェラート
ちなみに生口島はレモンの産地として有名ですが、まだレモンの実が成る季節ではなく、それほどフォトジェニックな風景ではありませんでした。

写真は生口島と大三島を結び、広島県と愛媛県とを結ぶ多々羅大橋です。
写真は多々羅大橋

こちらは大三島と伯方の塩で有名な伯方島とを結ぶ大三島橋。他の橋が吊橋・斜張橋であるのに対し、こちらは海峡の幅が狭いことからアーチ橋になっています。
写真は大三島橋

最後は来島海峡大橋。ここを渡れば四国本島の今治に着きますが、時間の関係で四国本当に渡るのは諦め、大島の南端にある展望台から撮ったものです。
写真は来島海峡大橋

大島まで来てから引き返し、昼食には生口島の瀬戸田パーキングエリアのレモンラーメン(妻が「是非これは食べさせたい」と言っていたもの)をいただきました。
写真は瀬戸田パーキングエリアのレモンラーメン
塩ラーメンベースに生口島自慢のレモンがかかり、美味しかったです。

春の瀬戸内旅行01-末期色を讃えよ2025年05月30日 20:53

ある日、妻から「広島行くぞ」と誘われました。なんでも広島には野生のウサギが一杯いる島があるらしく、昨年妻が一人で行った時たいそう感動していたのです。
そんな訳で、今回妻と義母との3人で広島に行くことになりました。
写真は東海道新幹線
新横浜で義母と合流し東海道新幹線の客になります。
写真は車内で乾杯
今日は車を運転する予定もないので、平日ですが車内でかんぱ〜い♪

3時間ほどのぞみ号に揺られて、着いたのは岡山。ここでこだま号に乗り換えです。
写真は山陽新幹線のハローキティ新幹線
こだま号は、1日1往復のハローキティ新幹線でした。
写真はハローキティ新幹線の車内
このハローキティ新幹線、ベースになったのはみんな大好き500系新幹線。
今回は指定席だったので、元グリーン車の4列座席の快適な座席でした。

で、今日はここで妻と義母と分かれて、自分はこの地で最後の活躍をする115系電車にガッツリ乗りに行きました。
写真は山陽本線の115系電車
岡山地区の115系電車は、外観こそ「末期色」とも呼ばれる濃黄色単色で塗られておりますが、車内はしっかり転換クロスシートにリニューアルされています。
写真は115系の車内
転換クロスシートに身を委ねても、聞こえてくるのはMT54モーターとC2000コンプレッサー、あとはクーラー対応大容量MGの駆動音とが織りなす、国鉄時代のハーモニー。
これが最後のつもりで、三原から岡山までの1往復ガッツリ堪能してきました。

途中、尾道〜東尾道で、しまなみ街道の橋をくぐります。海が近い!
写真は尾道の車窓
もうこれだけで一生の思い出に残る旅になりました。まだ初日なのに・・・

長距離旅行まとめ2025年05月17日 12:00

泊まりがけで出かけた旅行記の一覧(2012年以降)です。リンクを押すと、各旅行記ごとのまとめページに移動します。
【2025年】

【2024年】

【2023年】

【2022年】

【2021年】

【2020年】

【2019年】

【2018年】

【2017年】

【2016年】

【2015年】

【2014年】

【2013年】

【2012年】(リンク準備中)
  • 新婚旅行(グアム・パラオ)(2012.11.29〜12.5)
  • ミャンマーは凄かった(2012.8.13〜18)

冬の長崎旅行4-3日目(長崎観光と西九州新幹線)2025年02月05日 07:10

さて、世の中は月曜日で平日の営みが始まりましたが、泥酔鉄道の中の人は土日の延長戦。長崎旅行最後の1日です。

長崎に訪れたのは、大学1年生の時の鉄道研究会の旅行以来、三十数年ぶりです。確か当時の旅行では長崎観光は碌にしていない記憶しかないため、学校の歴史の授業で学んだ箇所の復習を意識して観光地巡りをしました。

まずは出島。江戸時代の鎖国政策の中、唯一オランダとだけ許された対外貿易の舞台となった場所です。出島は歴史の教科書で見る限りは海に向かって突き出した島だったはずですが、今では周りの海はすっかり埋め立てられております。唯一、島の周りに水路が残っていることだけが出島の痕跡として残されています。
写真は長崎出島の風景
島の中は江戸時代の屋敷づくりが並んでおり、その中でもカピタン(キャプテン)と呼ばれるオランダ側総責任者の屋敷が2階造になっており、建物内から外を見ることができます。
写真は長崎出島の中の風景
カピタン屋敷から出島の建築物を見た状況。かなりの密集度合いです。

出島から路面電車に乗り、長崎平和公園へ。
長崎は1945年8月9日、広島に続いて原子爆弾が使用された土地で、一瞬にして7万人以上の市民の命が奪われた街でもあります。
平和公園の平和の像は、上に差した指が原子爆弾を示し、水平に伸ばした反対側の手が世界平和を示しております。
写真は長崎平和公園の平和の像
そのあと爆心地に近い浦上天主堂を見てから、爆心地のモニュメントを観察。
写真は長崎原爆爆心地のモニュメント
世界情勢が不安定で危なっかしいこと極まりない世の中ではありますが、長崎が原子爆弾が使用された最後の地になることを願って止みません。

ここから、今回の旅行のもう1つの楽しみ、西九州新幹線に乗ります。
西九州新幹線は、長崎と博多を結ぶ新幹線で、現在は長崎と武雄温泉(佐賀県)間の69.6kmが開業しております。
写真は西九州新幹線かもめ
JR九州あるあるの派手な外装装飾がなされたN700S系新幹線に乗車します。

車内はこんな感じ。お金をケチって自由席に乗車しましたので、車内は東海道新幹線の座席の色が変わっただけのシンプルな内装(指定席車は4列席の広々とした内装です)でした。
写真は西九州新幹線かもめの車内
有明海沿いに走る長崎本線とは異なり、新幹線は長崎から先は大村湾に沿って走り、途中から国道沿いに山を突っ切って走ります。
わずか30分強で武雄温泉駅に到着。ここではもう1つの目当て、新幹線と特急リレーかもめの対面乗り換えを体験します。
写真は武雄温泉駅での新在乗り換え状況
新幹線と在来線の対面乗り換えは、九州新幹線新八代駅暫定開業時でも実施されたもので、新幹線が暫定開業時、新幹線に接続する在来線特急を新幹線のホームの反対側に停車させ、乗り換えの負担を軽減させる施策です。西九州新幹線でも、武雄温泉以東の建設の目処が立っていないことから、当面はこのような乗り換えが発生しています。
乗り換えてみると、確かに半年前に体験した敦賀駅での乗り換えとは異なり、3分の乗り換え時間でも楽に乗り換えができました。

武雄温泉駅から博多駅までは、在来線特急で移動、JR九州ならではの主張の強い内装の車内で過ごします。
写真はリレーかもめ号の車内の状況
奇しくも乗車している787系特急は、九州新幹線開業時に新幹線の接続を受ける「リレーつばめ」として使用されていた車両で、車内にもその痕跡(リレーつばめの列車名がシールで隠されている)が残されておりました。
写真は以前の九州新幹線「リレーつばめ」で使われていた痕跡
シームレスで快適な新幹線・リレー特急の乗り継ぎを経て博多に到着。今回の旅行の締めに、博多名物もつ鍋をいただきました。
写真は長崎旅行の〆で戴いた博多のもつ鍋
そんなこんなで楽しかった3日間の長崎旅行も終わり、飛行機で東京に戻りました。

【冬の長崎旅行(2025.2/1〜3)まとめ】