杉田俊介「非モテの品格」を読んで色々考えました2016年12月31日 13:35

見えない周縁の「感情」

2016年は、イギリスのEU離脱国民投票や、アメリカのトランプ大統領の当選といった、世の中にとって大きな出来事がありました。
それは目立つ都市に対してその周縁の田舎が見えなくなっていたこと、見えないだけなのにも関わらずその感情や動きが、「存在しないもの」とみんな見なして忘れていた故の「失敗」でもありました。

日本でいうと、よくその苦境が話題になる層に対し、その周縁で「差別し抑圧してきた」と断じられる男性・健常者といったマジョリティ層の「生きづらさ」は今まであまり議論にもなりませんでした。
しかし、その苦悩は「見えない」だけで「存在しない」ものなのでしょうか。
その疑問が積もり、日本において「男の生きづらさ」が多く話題になり多くの著書に綴られた年でもありました。

「感情」の時代の品格ある振る舞い

そんな中、とりわけ「非モテ」とも呼ばれる「人との縁が築きにくい」ことで苦しみさらに周縁の周縁に追いやられる人々が、どんな姿勢で生きていればいいのか、杉田俊介「非モテの品格」を読みながら、しばらく考え込んでいました。
自分も、著者の杉田俊介同様に、結婚してなおこの問題に囚われている「非モテ3」の当事者であり、今なおこの問題をぐるぐると考え込んでいます。

同著については、何度も読み返し、同著が問題にする男性の自己嫌悪からくる「生きにくさ」、その問題自らが抱える「伝えにくさ語りにくさ」は深く共感し分かったつもりですが、その感想を自分の言葉で全くまとめられない。逆にタダでさえこじれて困難な「男の生きにくさ」をコンガらがせる文章にしかならない。
正直、付箋はいっぱい貼ったのに言葉にならない、左脳に染み込まない、大変もどかしい読書体験になりました。

考え込んだ結果、同著の感想を考えながらネットで目にして深く引き込まれた、「『非モテの品格』を実践する上で、重要なネット記事」を紹介します。

子どもの貧困 「昔のほうが大変だった」への対処法(Yahoo!個人 湯浅誠) 「でも、修学旅行いけないのもとても大変なんです」「でも、大学に行けないと生涯賃金はこんなに違ってしまうんです」と、穏やかにだが反論したくなる気持ちが生まれると思う。
しかし「でも~」で始めてしまうと、今度は相手が否定された気持ちを抱くことになる。
今の子どもたちの貧困を認めることが、何か自分の幼少期の苦労を置き去りにすることになるような、そんな感覚を万が一にも持たれてしまっては、関心を寄せ、耳を傾けてもらうことは難しくなる。
否定し合う関係に入ってしまうと、目線を合わせて同じ方向を向くことは難しくなる。「否定された感」から反発が生まれることさえあるかもしれない。
(中略)
重要なのは、この力をもつ人たちが理解してくれないと、子どもの貧困対策の進まない場合があるという事実のほうだ。
コトは「感情」の取り扱いにかかっている。
私たちは相談者に対するとき、感情的なひっかかりを取り除いて初めてこちらのメッセージが入っていくという事実があるのを知っている。
(中略)
「昔のほうが大変だった」という言い方を受け入れると、今の子どもたちの大変さを否定することになるという受け止めは、論理的には正しいかもしれないが、感情的には正しくない。
よくよく読んで見ると、感情のやりとりを進めるため、立場の弱い若者・子供にも「反論したくなる気持ち」を抑えることを要求する、「弱者に厳しい」踏み込んだ指摘であり、強く共感すると共に、「よく踏み込んだな」と思いました。

しかし、大事なことはまさにここ。
男性も結局は「感情の生き物」であり、どんな環境にいようとも自分の感情を尊重し、それと同じように他人の感情を尊重すること。感情の尊重を意識して、可能な範囲意識したことを実践すること。
難しいかもしれないが、常にこのことを意識して振る舞うことが、全ての男性が「非モテの品格」を実践し、より健やかに生きやすい人生に繋がるように感じました。

杉田俊介「非モテの品格」感想前段:男の自己嫌悪は「ミサンドリー」2016年12月22日 22:25

最初にお断りというか、「非モテの品格」の感想をまとめるに1点自分が留意しないといけない事。 社会的にも当事者的にも自分自身は「旧時代(ゼロ年代以前)」の人間である事を弁えておかないといけません。逆に言えば、結婚してなお、ゼロ年代の「非モテ」意識をきずっているともいえます。 そのような立場で書かれた感想であり、人によっては「成功した人間の上から目線」を感じるかもしれません。そこはご容赦ください。
という訳で杉田俊介「非モテの品格」を読んで、色々考えてました。正直この本、コメントしたいところが多すぎて収拾がつかない。本は写真のようにもうボロボロの付箋だらけでです。
同著の感想をまとめようとしましたが、とてもまとめ切れません。そこで、今回は「非モテの品格」のベースになる「男性の自己嫌悪」について、「自己嫌悪」に「ミサンドリー」とルビを振ったあたりの感想を纏めてみたいと思います。

同著の感想をまとめるのに手詰まり感を覚え、前買った「フェミニズムはだれのもの?」(人文書院)の森岡正博と杉田俊介の対談を読み返してみます。
「フェミニズムはだれのもの?」で森岡正博が

ただ、私としては、男性の身体の否定性の問題を、あまり普遍的なものとして捉えたくはありません。(p184)
と発言。この対談があったのが2009年、まだ「非モテ」と括られていた男性層をめぐる議論が、「電車男」や秋葉原事件に強い影響をうけていた時代の頃。森岡正博による「草食系男子」論で関連する困難の試みられていた時期です。
この部分にしおりを挟んでました。
どうしてこの部分にしおりを貼ったのか、当時のことを思索してみると、フェミニズムやジェンダー論の議論では「男性が加害者であり、女性が被害者」という普遍的な枠組みがある中「でも男性だって生きにくい」と思っていました。そんな中、自らもフェミニズムの影響を受けた森岡正博が、その「男性加害者」モデルの適用の行き過ぎに警鐘を鳴らし、そこに強く共感したものと思われます。

一方、上野千鶴子が「ミソジニー(女性嫌悪)」が男性にとって女性嫌悪、女性にとって自己嫌悪と非対称に働くと「女ぎらい〜ニッポンのミソジニー」で発表したのが2011年。自分も同著を読み、「ミソジニー」を男女が感じる非対称さの概念がそのままで、プレイヤーだけ入れ替わった「男ぎらい(ミサンドリー)」という概念があるのではないかと思いました。
独身時代末期、色々拗らせていた中で同著を読んで、長い感想をブログに書きましたが、今でも「ミサンドリー」をGoogle検索するとこの記事が出てきます(何にもSEOはしてないのに・・・)。
「女ぎらい」で、上野千鶴子<はblockquote>男にとっても自分自身と和解する道がないわけではなかろう。それは女性と同じく、「自己嫌悪」と闘うことのはずだ。そしてその道を示すのは、もはや女の役割ではない。(p272)と言い遺しました。
そのような荒らすだけ荒らした当事者感の無い上野の姿勢に当時は反感も覚えたのですが、考えてみれば上野他女性フェミニストから男性の望ましい生き方を提示されても受け入れられるとは思えず、結局この問題は自分たち男性自身が考えていかないと血にも肉にもならないです。

あの読書体験から5年。 自分もかけがえのない人にも巡り会えたり、だいぶ境遇が変わってきました。
そんな中

しかし、それらの個々の流れを、相互に結び合わせる太い水脈は、まだ発掘されていません。これらの論点を統一的に論じ得る男性性の理論が不可欠なのではないか。(p272)
と纏められた男性の生きづらさの解きほぐし方についても状況が変わってきました。
「男の生きづらさ」を理論的に解きほぐす「男性学」それに呼応してか否か、ここ数年、男の生きづらさを男自身が振り返る綴る著作が増えて、男性学の「萌え」の時代が来たように思えます。ざっと思いつく名前を挙げても、田中俊之、二村ヒトシ、久米泰介、桃山商事、福田フクスケ・・・。
上野が言っていた「相互に結び合せる太い水脈」にだいぶ近づいてきたように思えます。

上野の「女ぎらい〜ニッポンのミソジニー」の最後に長く引用されていたこれらのセリフ、図らずも「非モテの品格」の著者である杉田俊介のものです。
そんな「非モテの品格」。17ページ「男たちの自己嫌悪 フェミニストたちの死角」の「自己嫌悪」に「ミサンドリー」とルビが振られている。
ド直球の豪速球ではないか。
これだ。この本を選んでよかった。

今週の「週刊東洋経済」〜宴のあとの鉄道特集2015年11月25日 19:49

今週の「週刊東洋経済」〜宴のあとの鉄道特集
今週号の週刊東洋経済。経済誌で時々やる鉄道特集ですが、ここ最近の鉄道ブームが醒めたような、去年までとは異なり今年は批判的というかクリティカルな感じの見出しです。

特集は日本の鉄道産業が抱える問題を「露呈する経営の歪み」「人口減少サバイバル」「狂う目算新幹線の憂鬱」の3点で纏めています。

まず「露呈する経営の歪み」ですが、鉄道網の整備が進み相互直通運転が進む事による遅れの増大などサービスの低下、昨今の鉄道トラブル多発の真相やインバウンド発展により露呈した乗換駅の問題を、極力一般論として多くの人が知見を共有できるように纏められています。
鉄道事業者が、その本業たる運輸業で勝ち取る満足度の総量が減る中で、図書の記述を読んでいて包括的に効きそうな解法として思い出したのが「失敗学」。10年前の死傷者が出なかった中越沖地震に依る新幹線脱線を「大成功事例」と大々的に断じた、評価と切り離して経験から知見を最大限に引き出す手法です。
「石橋を叩き壊す」ことなくイノベーションが廻り、組織毎の「縦割り」を少なくすることが一連の問題の解法だと思いましたが、それに効きそうなのが「失敗学」だと思います。

また、好調なインバウンドに鉄道事業者が追いついていない実情も、「神田のように、観光スポットではないが意外なハブになっている駅は他にもある」(p49)とハブという概念を使って訪日観光客対策に「効く」乗り換え拠点の整備について記述されてぃす、いま開かれている国交省の委員会でも、新線整備よりも乗換駅での案内の重要さが焦点になっていますが、それを補強する内容です。

PART2人口減少サバイバルでは、人口が伸びず運輸事業の収益に限りが見られる中、鉄道事業以外での収益確保策としての沿線開発(高齢化に応じた住み替えや都心部での開発)や、株式公開への見通しについて記述がなされています。
逆に読めば人口がある程度集積する、支店都市のような都市部を対象とした記述が中心で、県庁所在地級の地方部には効かなさそうな感想を持ちました。
また、東京メトロの上場問題では、地下鉄網の統合(東京都)とより高い価値での株式公開(メトロ・国)の立場の違いが明確化されている。副業込みで黒字のJR九州と並び、公的なものを民営化して民鉄のようなビジネスモデルで自立させ、国はうまく回り始めたサイクルを市場に放流して借金返済の原資に充てる「国鉄民営化」スキームが、最後の最後で試されています。

PART3「狂う目算新幹線の憂鬱」は、前半は北海道新幹線函館開業の苦悩(青函トンネル老朽化の改修費用も載る)が綴られています。
後半はみんなそっとページを閉じたくなる新幹線輸出がうまく行かない件。」

「新幹線が高度な技術を有しながら海外で評価されない理由が纏まっています。
引用すると「①日本国内で高評価なことを海外でも同じ物差しで高評価が得られると勘違いしていること②事実を定性的に示すだけで、何故そうなっているかの論理的・定量的説明が不足していること③国際規格(準用される欧州規格)との整合性について、日本規格を使っての説明が困難なこと(p67)」とあり、痛いところを突かれたような気がします。

纏めると、寡黙な職人では駄目で、コミュニケーションに大きな問題がある。これは薄々感じているけど、面として指摘されると事実を認識するだけでも強いストレスを感じます。
弱くても強い力をいなせる柔軟さというか飄々さというか適当さというかダメさというか、広い意味での強さが欲しい。

なんというか、あまり心地よい経験ではなく、いろんなことを考えさせられた特集でした。

ドキッ!?ステマだらけの水泳大会(ポロリもあるよ)2015年11月05日 22:45

やはり水泳大会といえばポロリですよね〜(鬼畜)

行きがけ、例によってウトウトしながら電車の中でネットニュースを見ていたら、面白そうな記事を発見して、帰りに詳しい記事を読みたくてビールと一緒に週刊ダイヤモンドを購入しました。
1記事のために鉄道模型の貨車1両分の出費をしましたが、やはり面白いことが書いていありました。
週刊ダイヤモンド11月7日号
巻末の方に第二特集としてひっそりと載っていましたが、ノンクレジット広告の問題でかなり突っ込んだことが書いてあります。
<strong>いわゆる「ステマ」って奴です。</strong>

ネット広告について、業界団体で書いてあるガイドラインでは「金銭の授受があれば有償枠として広告明記しなければならない」とあります。
しかし、広告業界新進のある会社は、クライアントから金銭をいただいた上でライターさんに記事を書かせてポータルサイトに載せ、それがより大手のポータルサイトに転載されることで「広告」を明示することなく広告的な記事を広告らしくないスタイルで載せていた、ということが書かれています。
具体的な手口や当事者は本誌をご覧いただくとして(少なくともこの記事だけでNゲージの貨車1両分お布施する価値は確実にあると思います)、ふと思ったのが。

この手口を知った感想は2個。
「①仕組みを考えた奴まじで頭いいな爪垢煎じて飲むから頂戴」
「②一連の『PR』の作成から最初にネットで公表されるまでの過程は、実はゴーストライターの仕事とあまり変わらないのでは」
記事を最後まで読んで感想を書いています

なかなかクレジットカードを作れない人がクレジットカードを作る方法として、まず信用審査の低いお店提携カードを作って、実績を作ってからより審査の厳しいクレジットカードを作る、といったことがありますが。
ライターさんに書かせた記事をより信憑性ある記事に仕上げていく手口が鮮やかです。

こんなの知ったら、「どうせネットはステマだらけの水泳大会」なんて具合に、包括的にネット媒体の信頼性が落ちる以上の答えは出ないように思え、それで一向に構わないと今朝は思っていました。

しかし、今回のダイヤモンドステマ騒動を知ることになったYahoo!個人のオーサーである某切込隊長の記事を読み直してみると、ステマ対策で日本の消費者行政を適正化しても海外経由で問題は解決されないし日本のネット業界を弱体化させる、というところまで先を見据えていることがわかります。

なるほど、自分の視点は「電気を無駄遣いするJR逝ってよし」なロッケンロールと視点の近さはあまり変わらないようで。
いずれにしろ、より安心してネットが楽しめ、より公平な視点で判断できるよう、適正な情報提供がなされることを願ってやみません。殺伐とした世の中では、生き残ることにエネルギーを浪費し、より良い社会の実現はより難しくなるでしょうから。

あと期待の「ポロリ」ですが、この記事を載せたダイヤモンド社もポロリしちゃった事、でしょうか。

牛窪恵「恋愛しない若者たち」2015年10月30日 23:32

牛窪恵「恋愛しない若者たち」
牛窪恵「恋愛しない若者たち」を行き帰りの電車の中で読んでいました。
自分自身、結婚するまでずっと恋愛経験が無くて、コミュニケーションが苦手なコンプレックスを持っています。
そんな時、森岡正博の「草食系男子の恋愛学」を読んでというか縋って必死にコミュニケーションをサボっていたツケを埋め合わようとした苦い記憶が、今も鮮烈に残っています。
コミュニケーションが苦手で逃げていたのは確かに自分が悪いけど、その事で受けるデメリットはサボりの総量に比べて過大ではないか?自己責任のみでは無く社会でも解決が図られるべきではないか?という問題意識から、この本をチョイスしました。

早速読み始めたのですが、最初から自説展開に都合の良い新語乱発で、ちょっと胡散臭い感じはあります。「恋愛(ラブ)レボリューション」って何だよThe end of genesis T.M.R. evoナンチャラの歌の歌詞かよ、と思いました。
大学の先生が「既にある言葉に当てはめようとせず新語を乱発するのイクナイ」とゼミで言っていた事を思い出します。

しかしこの本、論拠となるデータや出典がぎっしり詰まっており、それも論と根拠とがしっかり結びついており、読んでいくうちになるほどと思わされていきます。
この情報量の多さの割に頭に入ってくる感覚、電子媒体ではなかなか見られず、紙媒体ならでは、という気もしてきます。

この本では最近の若者の恋愛傾向、社会傾向と平安時代から今に至るまでの恋愛や結婚の流れ、そして問題と代替案の提案、という流れになっています。
本を通して読んでみると、今の若者が「チャレンジした結果喪う」事が非常に多くまたそれに相当の畏れを抱いている事、情報化社会(懐かしい単語ですね)が大化けして、人の行動判断に予期できない影響を与えている事、女性だけでなく男性も性差による生きづらさを抱えて動きにくくなっている事が挙げられます。
特に、若い男性が女性から評価されない流れ等は読んでいて不憫に思えてなりません。

そんな経緯で、最後の締めとなる結論は「恋愛と結婚の切断」と(乱発気味だけど)恋愛経験の代替案としての「連帯結婚」の導入。
コミュニケーションスキルを要し、失敗すると喪うものが大きすぎる恋愛に頼らずに結婚する提案がなされています。なんだかすごく納得。
自分が求めていた「コミュニケーション能力の欠落を社会的に補える絆づくりへのアプローチ」の一方法が書かれています。

しかし、あとがきの最後の最後、「でも恋愛って、楽しいものだよ」???
本当の最後に「* ゚・*:.。.:*・゜+ d(*´∀`)b うそです +.:*・゜゚・*:. *」を咬まされなような微妙な気分になりました。。。