近郊形グロベンwithAU712/MG2016年06月20日 23:30

某氏のブログを見ていて、激しく劣情を掻き立てられて古い写真フォルダを漁って便乗うp。
しかしながらSIVは交流区間では効かないことから、当方はMGで発電します。それもとびっきりの曰くつきで、逝きます。
K521の最期
2007年4月 回8125M、黒磯駅で撮影。
郡山工場に向かう廃車回送列車が、黒磯駅2番線に到着、最後の交直切り替えを待つところです。

当時の常磐線には、先頭車がクハ401、中間車が415系という編成が4本おりました。
その出自はやはり1985年の科学万博。万博輸送に合わせて常磐線の中距離電車も15両編成化され、増結用の415系700番台車が3両ユニットで大量に製造されました。
ただその頃は国鉄改革議論の真っ最中。新造車を最小化する都合から、一部はモハユニットのみ製造され、サービス電源等はクハ改造で賄う編成も増備されました。しかし酷いのはその改造。冷房用の大型電源を積み、窓埋めして冷房用の分電盤を付けたにもかかわらず自車は非冷房。
いかに当時の国鉄がケチケチだったのと常磐線15両化が時間的にもギリギリ施策だったかが分かろうものです。

かくして科学万博は無事終わり、後継となる415系ステンレス車の増備やら国鉄民営化やらで落ちついてきてから、JR東日本はAU712なる車体補強が少なくて済む軽量クーラーを開発します。AU712により屋上のみならず車体補強まで行うことから難航していた通勤電車の冷房化に福音、一気に冷房化が進むことになります。
当然電力関係は十二分、クーラーが付いていなかったのがおかしい、415系とコンビを組んでいた、「他の車両の冷房は思い通りなのに自分はクーラーが無い」4両の偶数向きクハ401にもこのクーラーが積まれます(1980年代後半、クハ401-54冷+モハユニット+クハ401-33非冷なる編成を見ました)。

もう少し国鉄民営化のドンチャンが収まってきた1990年代に入り、ステンレス415系のさらなる増備と老朽車の取り替え、「更新工事」と銘打たれた経年車の延命工事が行われ、波乱のクハ401は更新+奇数側クハも更新となり、車内だけみれば暖色で統一された継接ぎの4両セットで、最後まで運用されました。
数奇なる運命に翻弄されつつ任務を全うした、AU712が載ったクハ401に敬礼。
その思いを抱き、GMキットでこいつを創ります。

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