炎上しながら拾った栗2010年11月18日 23:38

自分は、前にうつ病で1ヶ月程度休職した「過去」があります。
そんな経験を通じて「良かった」と思えるのは・・・自分の考え方のクセが自分でも判った事、その上でどんな思考をしだすと「危険」なのかをなんとなく掴めるようになった事・・・ではないかと思います。

ただ厄介なのは、そんな経験を経ても「自分に対する自信・自尊心」を補完できなかった事だと思います。
自分に対して自信が無い人は、それを補おうと自分で心がけてても、補う事ができない経験を重ねる事で、逆に自分に対する自信を毀損してしまう・・・これはなかなか辛いです。

まぁ、でも。
そんな地獄のような辛い状況に晒されつつも、破綻せずにやっている。さらに自分の場合は幸いなことに1ヶ月の休職で復職できた。
人に言われてはじめてその事の大変さに気付きました。いまとなっては大事なことに気付くきっかけを作っていただき感謝です。。。


追加。
みんな大好き(?)2ちゃんねるで、見てて心に響いたレスを紹介して、今日の毛色が異なる記事を締めようと思います。。。
真面目すぎて(冠婚葬祭板)の705番目のレス

705 :愛と死の名無しさん:2009/12/16(水) 10:05:58
要領の良い人っていうのは万人に博愛というわけじゃなくて、気の合わない人とはさりげなく距離を置いて気の合う人達と群れるのが上手いっていうこともあるね。
思っていることをすぐ口にするからフランクなのかもしれないけどもっと考えてから喋れよ、ずうすうしいな、と感じることもあるし。
でも、そういう人を見てると、人間て真面目な人が自制している以上に、言いたいことを言っていいし、他人を頼っていいし泣き言も言っていいのかもと思うことがある。

コメント

_ NAL ― 2010年11月19日 06:26

 「責任転嫁にする『自己愛型人間』」の記事を読んで、私もいろいろ考えることがありました。


> 自分に対して自信が無い人は、それを補おうと自分で心がけてても、補う事ができない経験を重ねる事で、逆に自分に対する自信を毀損してしまう

 これはありますね。

 私は子どもの頃はいわゆる「自信」や「自尊心」というのが低かった(低くなってしまった)ので、自責の念が強い性格でした(無意識の生存に対する自信であればあるんだろうとは思いますが)。
 大人になってからもベースの性格が変わったわけではないのですが、「難しく考えなくていいじゃないか(現状を追認するだけでもいいじゃないか)」と達観することができるようになって、その呪縛からはある程度抜け出せたのですが……。

 元が元だけに、何でも責任転嫁する「自分大好き人間」の思考や言動というのは、正直今でも理解できないことが多いです。


> 人間て真面目な人が自制している以上に、言いたいことを言っていいし、他人を頼っていいし泣き言も言っていいのかもと思うことがある

 たぶん、そうなんでしょうね。
 でも、このさじ加減は私にとってかなり難しい問題で、今でも日々苦慮しています。
 何か言おうとするとき、自分の言動で相手が不快にならないか、誰かを不幸にしないか、つい考えていることに気づかされます。

 何も考えず自然な言動ができる人というのは、ある意味本当に幸せなんだろうと思います。

_ クロポ415@泥酔鉄道 ― 2010年11月21日 23:08

NAL様コメントありがとうございます

>言いたい事を言っていいし、他人を頼っていいし泣き言を言ってもいい
なかなか社会人になると難しいですよね。自分もさじ加減にはいつも悩んでいます。

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