ブルートレインの工作2018-08 車体の塗装(続き) ― 2018年03月03日 22:32
ブルートレインの工作2018-09 ナンバー入れ ― 2018年03月04日 23:25
午前中は仕事関係の考え事をして、午後ナンバーを入れました。
引戸のオハネ24には、尾久配置歴があり(=北斗星・エルムで使用されました)、青森転属後は最後はニコニコ超会議号でも重用された、オハネ24 3をナンバーに選んで転写しました。
同時に塗装した折戸のオハネ25は「あけぼの」で乗ったオハネ25 215をチョイス。
合わせて、ナンバーが入らないままだった完成品の引戸オハネ25にも、オハネ25 17のナンバーを入れました。
室内の色入れが残っているけど、とりあえず外観は完成。
オハネ24 3はこれで完成。塗り分けが今一つだったオハネ25 215は、機会があったら塗り直したいところです。
これで引戸開放B寝台が3両揃いました。買い物に行ってきてから、北斗星5/6号を仕立てて、飲みながら運転。
編成後部の開放B寝台、オハネ24 3-オハネ25 229-オハネ25 17と、無個性ながらちょっとずつ異なる3両が連なります。
これは・・・・・もう、至福杉。
工房の筆卸(違 ― 2018年03月10日 23:59
あれから7年 ― 2018年03月11日 13:07
今日で3.11東日本大震災から7年。
喪われたあらゆる命と想いに黙祷。
あの日あの時、自分は栃木県の氏家で外にいました。
立ってられない揺れ、キュキュ鳴きして揺られる東北線の架線、揺さぶられて空に舞うスギ花粉、一向に治らない地震、停電で機能しない信号。
未だにアレが現実の出来事のように思えません。
被災しなかった人間がやるべき事は、数十年かかると見積もられる喪われたものの復興を支えその原資を捻出すべく世の中を廻す事。その想いは7年経った今でも変わりません。
不幸中の幸いにして、栃木に住んていた自分も、茨城に住んでいた両親及び親戚も、大きな影響は受けませんでした。
ただ、工作中の模型が破損した、それだけで済みました。
破損した模型(10系客社改造のドイツ型客車)は、「震災復興車」と粋がって工作を続けてきましたが、あれから7年、まだ完成していません。
慌てて工作しても良い事はありませんので、大意を忘れず引き続きゆっくり工作を続ける事にします。
あれから7日 ― 2018年03月18日 20:48
、年度末の仕事はますます苛烈を極め、大変熟成されてきましたorz。
当面発言にはきをつけるしょぞんです。もちろん心身の不調にも・・・(3/19一部発言を訂正しました)
そんな中、気晴らしにちょっと遠いところに買い物に逝った際、某ポポソデピピックで仕入れてきたのがこちら。
憧れだったトミーのポニートラスと、メルクリンの貨車です。
メルクリンの貨車は、連結器もピッタリ合って、ディティールも必要十分で、何よりその出来がプラスチックとは思えないシッカリカッチリした出来で、H0のBR243と組み合わせると大満足です。
しかし大事なことを忘れてました。
普通のメルクリンは、普通の鉄道模型と異なり、交流3線式で、車輪の絶縁方法がどうも普通の鉄道模型とは異なるらしい。
それは知識として知っていたのですが、動力車じゃないから大丈夫と思っていたのが誤りでした。
多分車輪を交換すれば大丈夫そうですので、その辺は適当に何とかします。
もう片方、ポニートラス橋。ツイッターでの評判も上々なので、楽しみにしていたものです。
キット形式で組み立てです。
トラス自体は、部材も三角に抜けていたり、トラスの接点が本来のヒンジ上になっており、テンションだだ上がりです。
(トラス橋の接点は、本来は回転方向の動きを拘束しないヒンジ構造で、三角形を崩すとクルクル廻るようになっています)
しかし。
トミックスのレールシステムに合わせ、ミニカーブレールやバスコレ走行システムに合わせたシステムのため、他のレールシステムに比べてもトラスの間隔が幅広気味。
むしろHOゲージにピッタリ合いそうです。
ともあれ、お座敷運転にいいスパイスが手に入りました。
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