東武線オフその1〜東武快速お名残乗車2017年03月09日 22:45

去る3月5日、模型仲間と連れ立って、東武の快速電車と特急スペーシアの個室に乗るオフ会に参加してきました。
奇しくも今年4月のダイヤ改正で新しく出来る特急「リバティ」と入れ替わりで、浅草直通の快速電車が廃止になる発表があって初めての土日。
東武の快速電車には大学の合宿所があった関係で何度かお世話になったこともあり、多分今回が名残の乗車になります。

まずはお清めをして襟を正して、始発の浅草駅に向かいます。
始発の浅草駅は、駅ビルの中にホームを作った戦前からのモダンなターミナルです。しかし、隅田川を渡るために線路もホーム自身も大きく曲がった構造が災いし、長編成の通勤輸送は途中から地下鉄への直通を増やすことで対応し、時代に取り残されたかのような駅になっています。(ひところ、浅草駅を直線に改良する構想があり、イメージスケッチみたいなものを見たような気もしますが、あれはどうしたのでしょうか。)

そんな通勤輸送から隔絶された浅草駅、そのホームに上がります。
浅草駅の4線あるホームで、快速電車は一番西側の5番線からの発車となります。今度の改正で廃止となる快速・区間快速は8本あり、そのいずれもが日光方面・鬼怒川方面への分割列車になっております。ホームの袂には快速列車の分割案内がありますが、今度の改正からはここに特急リバティの分割案内が入るのでしょう。
それにしても快速電車が廃止されたあと、5番線はどのように使われるのでしょうか。

9時少し前に、駅係員に見守られながら区間快速電車が到着。
これが折り返しで10分発の快速39電車になります。

到着後、車内清掃・整備をして乗車準備完了。駅係員が電車とホームの間にステップ板をかけて乗車案内をします。
浅草駅は、そのホームの急カーブから、通勤型の一部車両のドアカットや特急・急行・快速電車のドアステップ設置で隙間対策をしております。
見方を変えれば、現状に合わなくなった駅の作りに対してのやむなき措置に過ぎませんが、こういうところに「人の手がかかっている」温かみというか、物語性を感じてしまいます。

定刻9時10分、快速39列車は浅草発車。すぐに列車は隅田川を鉄橋で渡ります。
暖冬の冬が終わりつつあるようで、隅田川の土手には早くも桃色の花もちらほら咲き始めていました。
隅田川を渡り、千住のあたりまでは隅田川と荒川に挟まれた土地を右に左に走って行きます。

北千住から北越谷までの20キロ近い複々線区間。今日はこの区間はひとっ飛びで春日部までノンストップで走り抜けます。多分この区間を快速電車で走り抜けるのも今日が最後になるでしょう。
途中、草加でいつも乗っている地下鉄直通の電車ともすれ違いました。当方は快速で通過し、こちらの景色が流れています。

東武6050の車内。今回乗ったモハ6169は、奇しくも更新前の旧番号がモハ6001。堂々のトップナンバーです。
車内はドア周りのロングシートの中にボックスシートが7組納まる構成で、ドアと客室を仕切るデッキが無い以外は国鉄急行型電車のような構成です。
しかしこのボックスシート、背ズリ傾斜部のクッションが絶妙に柔らかく、背ズリのいい塩梅の傾斜も相まって、とって大変座り心地の良い椅子でした。その座り心地は寝台特急583系のクロスシートのようで、立つのが億劫でいつまでも座っていたくなるような感覚です。
6000系から6050系への車体更新にあたり、扉間のクロスシートを9組から7組に減らし、その余裕を両開きドアと座席の改良に回しましたが、それが効果的に生きているように思います。
さらに、車内には方向幕を流用?した電光式の行き先案内。快速が日光線系統と鬼怒川線系統に分割されるための案内設備です。寛順ながら多層立て列車のわかりやすいところが再現されています。
もしも国鉄があの時期に潰れず、急行列車の枠組みを保ったまま車両の設備が順調に進化したら、こんな風になったのかもしれません。

6050 on 6050。マイアミ氏渾身のキットが、6050のテーブルに揺られてガタゴトしています。同じく自慢の大テーブルには、お酒の「おつまみ」が2冊。
途中踏切で遅れたせいもあり制限いっぱいの105キロで走ることもありましたが、揺れも苦しさもなく淡々と走ります。朝の一献が廻ってきたせいか、途中、栃木くらいからウトウトしており鹿沼からの登坂区間は夢の中で過ごしてしまいましたが、これもまた一興。

浅草〜下今市の2時間の行路も、大変快適に過ごせました。
ここからは日光線と鬼怒川線が分かれ、分割できない特急の旅客を受ける区間運転の普通列車も発着して賑やかになって来ます。昔は「特急連絡」という種別を名乗っていたこの列車も6050系でした。

乗ってきた快速電車は、ここで鬼怒川線方面と日光線方面に分割。
自動化が進んだとはいえ、分割作業は多くの人の注目を浴びる、ちょっとしたハイライト。
編成をこまめに分割併合して1本の列車が様変わりしていく様子も、まさに国鉄時代の急行列車を思い起こさせます。

乗り通して思ったのが、この電車が人手や手間をかけて運転されている事。
いろんなものの自動化・省力化・ロボット化が進んだ今となっては、「人の手がかかっている」温かみと懐かしさを感じる列車になっていました。
下今市で、ちょうど6050系を改造した「スカイツリートレイン」が入線。
つい先年改造されたばかりで安泰かと思ってましたが、この列車も運行終了になるみたいです。

6050系系電車も一部機器は製造から50年経ち、快速電車の廃止とともにその去就が注目されています。
ブログでは何度も繰り返してますが、「今あるものは今しか乗れない」。その思いを改めて感じました。

品川駅の線路切り替え工事を見てきました2016年11月19日 22:50

今日から明日にかけて、JRの品川駅で線路切り替え工事が行われております。
そのため、今日は午後2時20分をもって品川〜東京間の東海道線の運転は打ち切り、品川駅で折り返しになりました。
ちょうど今日は都内に行く予定がありましたので、ちょうど切り替え工事の時間帯に少し立ち寄りました。

今日の上野東京ライン最終の1592E古河行きを発車見送り。車掌室の添乗等はなく、いつもの普通電車でしたが、発車メロディーを長めに鳴らして発車して行きます。
運休後の東海道線下り一番列車9821Mと2番列車9823Mは、各々田町の車庫から出てきて、品川駅の11番ホームと10番ホームに据えつけられます。

程なく、運休後の上り一番列車9820Mは9番線に到着します。
結構なゆとりをとって折り返しを行います。

無事に最終列車を見送った東海道線5番ホームですが、14時30分時点で黄色い服を着た作業員?列車見張員?もまだホームで待機しています。

午後3時、閉鎖された東海道線では、線路切替工事の最終打ち合わせが現場で行われていたり、早いところでは線路に乗り込んで着工していました。
無事の竣工を願っています。

突き刺さる国鉄ビーム〜尾久車両センター公開2016に遊びに行ってきました2016年11月12日 18:23

今日は家族で食事に都内に行ったついでに、尾久車両センターの公開があったことを思い出し、予定を変更して腹ごなしを兼ねて行ってきました。
ちなみに尾久車両センターの公開に行くのは、今回が初めてです。
583系上京
まず今回の展示の目玉、583系寝台特急です。
昭和40年代に製造された昼夜兼用の特急列車、青とクリームのツートンカラーで日本中を走り回りましたが、もう現役で残る車両も写真の6両1編成のみ。それもいつ引退するか分かったものではありません。
幸い、今回の尾久車両センターの公開展示では、整った編成写真をまるっと納めることができました。

自分は特急や夜行列車とは縁の薄い人生を送ってきたことから、正直583系の列車への思い入れはあまり無いのですが、改めて見るといいデザインです。
量感がある大断面の車体、機能的に必要なものだけが詰まった前頭デザイン、輝くシンボルマーク、主張が強い中にも気品のあるクリームと青の特急塗り分け。

もう一回乗る機会があるかわかりませんが、機会あるたびによくよく脳裏に焼き付けたいものです。

今回の尾久展示は、さながら国鉄型の展示会の様相を呈しており、583系の反対側には歴代のブルートレインを牽いてきたEF65が2機種とDD51とが並んでいました。

そして、ターンテーブルの上には、1985年筑波科学万博お召列車(上野〜土浦・下館〜原宿)の姿を再現したEF81 81号が鎮座。

ターンテーブルの上には一方構内の外には、展示車両とは別ですが構内の入換に使うDE10型ディーゼル機関車と砕石用貨車。
今回の展示の舞台となった無架線地帯へ車両を出入りさせる際に活躍した、重要な存在です。
さながら、国鉄時代を駆け抜けた車両に囲まれ、約30年前に終わったはずの国鉄時代に引き戻された気持ちになれ、大変満たされました。

しかし尾久車両センターですが、配置される客車もすっかりいなくなってしまい、今後どうするのでしょうか。構内では、多くの線路が赤錆びたまま朽ちようとし、架線の無い客車留置線の南半分を中心にポイント等が使用停止になっていました。
同じく配置される機関車が少なくなった田端機関ともども、その将来の姿が気になります。
そして、最近増築され、さらに1線だけ電化された客車検査棟。
多分電化された1線には「四季島」が普段引きこもっているものと思われます。

今回の展示では、電化されていない方のもう1線に、特別列車(お召列車)及び団体専用のE655系電車が展示されていました。
この線は電化されていませんが、E655系電車は電化されていない区間も機関車に牽かれて営業できるよう、持っているディーゼルエンジンを稼動させて展示されていました。

そんな訳で初めて来た尾久車両センター。
赤錆びた構内の線路を歩くのは少し足元が疲れました(家族は「合法的にスタンド・バイ・ミーごっこが出来る」と喜んでいました)が、広い構内故に混雑も少なく、いろいろと見るものを堪能でき、とても楽しかったです。

今あるものは今しか乗れない2016年09月30日 23:01

早いもので、2016年度も上半期が終わりです。
2016年下半期に入るにあたり、新車投入に伴う、関西エリアで電車の運用変更がある模様です。
この運用変更で、どうも関西線の103系8両の快速電車が奈良持ち・森ノ宮持ちとも221系に取り替えられるとのこと。

最近、この時乗ったクハ103-135を含む数編成が廃車となったと聞きましたが、こうも早く運用の差し替えがあるとは思っていませんでした。
自分が乗った快速便が、流すような走りが少し不満でリベンジを果たそうかと思っていましたが、一連の運用差し替えで叶わぬ願いになってしまいました。

それでも、103系の去り際に十分に間に合った夏の大阪行、本当に「今あるものは今しか乗れない」を実感。

2016国電の旅04-103!103!!103!!!2016年08月17日 09:00

明けて15日。盆休みの平日、電車は平日ダイヤでお客様は少なめ。
今回の旅行の一番の目的、103系電車に乗りまくる1日が始まりました。

家族が寝てる中、朝5時に宿を出て朝食もとらずに奈良へ。
まず迎えるのは321Y、大阪行き区間快速です。
朝ラッシュの最ピーク時に大阪に着く最混雑時間帯ならではの一番輸送力も無理も効く103系列車8両編成の輸送力列車です。

この日は最後尾の車両にクハ103-135という古参車が付いていました。昭和44年に山手線に投入された車両です。紆余曲折があり、元の色に近いウグイス色に戻りました。
一方のクハ103-226。こちらも山手線に投入された新製冷房車です。
さて乗車。モハ103を選びました。
区間快速は、奈良を出て法隆寺に着くまではかなりの快速で走りますが、王寺から先は線路が詰まっているせいか流すように走っていきます。
音と振動が身にしみる走りを期待していた中、少々消化不良ですが、念願の103系本来の使われ方をする電車に乗れたから良しとしましょう。

天王寺に着いてからは、もう一方の103系の雄、阪和線に乗り換えます。
自分の住んでいた京浜東北線の最新型である103系高運転台車が多数残る阪和線。クハ103-1を目当てに、5年前も乗りに行きました。
しかし、今年から普通用の103系を新車で置き換えるようになり、順次引退が始まり予断を許さない状況です。
あまり「葬式騒ぎ」は好きではないですが、最後に阪和線の103系にもう一度乗りたいがための、今回の大阪旅行を提案したようなものです。
私鉄そのものの天王寺駅阪和線ホームに、颯爽と高運転台103系(クハ103-797)が到着。首都圏へのATC整備に伴う先頭車増備が一通り完了し、再び関西地区にも新製クハが入るようになった時代の車両です。
列車は「快速 鳳」行きの方向幕を出しており、製造から35年以上経った今なおその現役っぷりを期待させられます(実際には方向幕はエラーで、後ほど修正されています)。

今回、阪和線103系にどう向き合うか考えた結果、浅香駅の大和川橋梁あたりで撮るイメージを持っていたものの「確信」が持てず、何をするかちゃんと決めていないまま来阪していました。
最初は、朝ラッシュ時に天王寺まで通勤輸送をした後、折り返しで車庫に戻る列車を惰性で撮り続けていましたが、時刻表や運用表を見ていた結果、ちょうど良い時間に1本だけ103系が充当される区間快速電車があることを発見。先の奈良線区間快速が流すような走りで消化不良だったこともあり、堺市から乗車しようと思いましたが、残念ながらこの日は205系。
「もう、ここまで。。。」何か、緊張の糸というか張り詰めていたものが切れてしまいました。

そのまま惰性で鳳まで移動。ここで入庫する103系を撮ることにしました。
まず飛び込んできたのはクハ103-148。こちらは先の奈良線と同時期の1969年に製造された電車で、関西地区でずっと運用されているもの。
早期に延命工事を受けた関係から、屋上の通風器も残っております。
光線の関係で正面にしか明かりが廻りませんでしたが、青22号単色の塗装や前面の補強もされていないこともあり、国鉄時代からの面影が強く残っている1両です。

関西地区では、先に述べた国鉄時代の首都圏ATC化の影響で先頭車のみ首都圏から転用、中間車は比較的年式の新しい車両が配置されていました。
これらを引き継いだJR西日本は、1990年代末に、残存する103系を40年間陳腐化せずに使えるよう、外観から内装まで徹底的に補修した「40N体質改善車」を登場させます。もはや原型をとどめない更新っぷりに度肝を抜かれましたが、時代に合わせて適正な姿にアップデートする姿勢に、自分は当時も今もいたく感心したものです。
ちなみに、40N体質改善車が出た当時、特に鉄道に興味がない一般の人にも、従来の車両と普通に混血して使われていたことから、すぐに「これは新車ではない」とバレてしまった、という話を聞いたことがあります。

そんなサイボーグのような40N体質改善車ですが、元の103系そのものの製造が終了して40年経とうとしており、老朽化による引退が始まっております。
20代の頃に登場して度肝を抜かせられた40N体質改善車が引退とは、自分もトシを取り過ぎたものです。

一方こちらは30N体質改善車。
延命期間を30年程度に想定し、40N体質改善のメニューを簡略化したものです。
屋上のベンチレータは撤去され側窓は埋められていますが、比較的原型のイメージが残ったもの。京浜東北線の面影が残る高運転台の姿が凛々しいです。

さて最後は原型の面影が残る2輌。
写真上は、まぁひどい写真ですが羽衣線のクモハ103ー2503。片町線の全線電化用に、モハ103を先頭車化改造したものです。
JR西日本の103系電車では、前面のガラス押さえがほとんどの車両で金属の押さえに改善されておりますが、このクモハ103のみは原型のHゴムのまま。顔つきもJR西日本で主流だった、ATC設置未対応の低運転台と、国鉄型よりも黒鉄臭い外観が残っています。
この車両は、羽衣線専用で残っています。
写真下はクハ103-193。昭和47年度のいわゆる「1次改良車」と呼ばれる、窓や前面が改良されたグループです。
屋上に残るベンチレータや銀色のままのサッシからも分かる通り、この車両、実は国鉄時代に特別保全工事を受けただけの、大変貴重な1両です。前面や戸袋窓は改造されていますが、見る人が見れば「よくこの姿で残っていた」大変貴重な1両です。

車内。
写真上(モハ103-397)は、扇風機が廻ることからもわかるよう、体質改善工事未実施車。戸袋窓が埋められ、内装板や床板が更新されて綺麗になっているものの、原型の雰囲気が各所に残っています。
写真下(モハ102-2028)は体質改善30N工事車。外観こそ原型の雰囲気が強く残っていますが、内装は座席風除けの設置や内装板の取り替え、扇風機からファンデリアへの更新など、内装は原型から大きく姿を変えています。

そのまま和歌山まで行き、帰りは王寺経由で大阪に戻りましたが、おおさか東線でも幸いなことに103系に巡り会えました。
奈良車庫に所属する貴重な6両編成3本のうち1本です。

最後、和田岬線にも足を伸ばしました。
和田岬線は、電化されてから専用の103系が1本だけ残り、朝晩の通勤電車に使用されております。
距離も短く運用も単調ですが、この路線も、103系がその目的に適って使用される、貴重な1路線です。
最後は和田岬往復で、締めました。

正直に言うと、まだ今の時点では阪和線に残る103系の取り替えが始まったばかりで、大阪環状線への新車投入と代替車の玉突きはまだ始まっていません。
そのため、「残る103系」という割には車両数も改造バリエーションもまだ多く、予習するのも現地で実見するのも膨大な作業量の前にへこたれてしまう状況です。しかし、それも本当に今のうち。

「今あるものは今しか乗れない」。自分は、今回の旅行では中途半端に終わったところもあり最後息切れもして不満も残りますが、それでも行って乗って撮って本当によかったです。