「最近の若い者は」への批判 ― 2011年07月31日 21:32
昔から、良く言って年長者が年少者を諭す(悪く言えばクサす)言葉として、「最近の若い者は」から始まり、自分及び自分たちの世代の経験をソースとして現在の年少者を評価する言葉があります。(なんでもエジブトのピラミッドに納められた石版にも同様の文言があったとか)
滅多なことでは怒りとか嫌悪とかの感情を示さない筆者ですが、この「最近の若い者は」だけは我慢できません。発言する者全てを軽蔑しますし、許されるなら距離をとり一生近づきたくない。そこまでこの考え方を嫌っています。
何故?
「エジブトのピラミッドに納められた石版にも同様の文言が書かれていた」とあり、それが現代まで脈々と続いていた事から考えると、綿々と「年少者時代は『最近の若い者は』と言われて育った層が年を経て『最近の若い者は』と言うようになる、悪い意味での「再生産モデル」が成立しているように考えられるからです。
そういう「負の連鎖」は、悪いと思うのなら断ち切られるべきものであり、老若問わず理屈で考えて断ち切るべきものだと考えます。
『最近の若い者は・・・』で始まる批判を受け、具体的に年少者が指摘される問題点を是正・改善しようとして『どこが?』と尋ねると、年長者から示される答えの多くが『自分が若い頃は・・・』と自分たちの経験をソースとして回答します。
しかしこれは、例えば良い結果が出てる時(経済面で、高度経済成長期とか)は有効なものの、それ以外の時には説得力がゼロになる、普遍性が無く回答になっていません(嘘だと思うなら、団塊の世代以上の年長者世代が『俺達が世の中の主導権を握っていた平成年代は、日本は経済的に大きく発展・飛翔したんだぜ』と白々しく主張する絵をイメージしていただければいいと思います)。
あと、そのような回答には「当事者意識」がありません(「最近の若い者」が誤っていると思うのなら、自らその誤りを正しより良い世の中を構築するべきように思うのですが、「最近の若い者は」といった発言からは、そのような動きに乗っていない(ぶっちゃけ「自分も原因者の一人なのに他人事扱いしている」)。)
何より、『自分が若い頃は・・・』には「理屈」がありません。うまく行った理由が理論的に整理されている場合もあるかもしれませんし、逆に理論的にはバツでも「たまたま」うまく行っただけかもしれません。
そのあたりのが理屈づいて整理されていない現況に、危惧を覚えます。
平成年代に入ってからの日本は、正直いろんなところがマクロ・ミクロ問わず捗らなくなっているように思います(その中でも自分は比較的安定した境遇に恵まれていますが、これはたまたまに過ぎないと考えています)。そういう世の中、老若問わず全ての世代が、自らの問題を他人事扱いせずモノにとりくまなければならないように思います。
そんな訳で、自分の問題を根拠無く他人事扱いし、自ら(実は問題の原因者だったとしても)問題を他人事扱いする「最近の若い者は」って言葉を、私は嫌悪します。
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