ミャンマーは凄かった(3)8月15日PM:渇いたヲタにバスの潤いを2012年08月26日 22:59

ミャンマーは電話事情が悪く、なかなか国際電話がかかってきません。ちょうど旅行の中間点である15日の昼、万が一勤め先でトラブルがあっても大丈夫なよう、国際電話(20ドルで売っていたSIMカードを購入し、ガイド氏の携帯電話をお借りして通話した)で勤め先に電話。電話の向こうから「何も問題ないから旅行楽しんでこい」との有難いお言葉を戴きました。

もはや遮るものはなにもない。このどうにも想像を超えているヤンゴン市内の交通を骨の髄まで味わい尽してやる。もはや腹痛以外何人たりとも俺達を停められない。。。
ヤンゴン市庁前を走る三菱ふそうニューエアロスター@大阪市
という訳で、ヤンゴンの中心であるスーレーパヤー(&ヤンゴン市庁舎)前でバスウォッチング。1996年以降に製造された現行型エアロスターも製造されて15年、彼の地に渡っているんですね。

日本の方向幕が残る元江ノ電バス
先ほど乗った45系統の出発点に再び行くと、「藤沢−手広車庫」の日本時代の方向幕が残る元江ノ電バスが客待ちをしていました。

もと川崎市バス
こちらは43系統、もと川崎市営バスの現行エアロスターです。もともと別の路線に投入された車両と思われます。

ミャンマーのバスは企業でやっているところもあれば個人が1〜2台で営業しているところもあります。その中でバスの行先には「(企業もしくは)個人の場合許可を出している行政団体(昨日のバスの大部分&写真のバスでは「マー・チャー・ター」と呼ばれる団体)」の名前が行先表示のところに出されます。行先でも経由地でも路線でもなく許可者名が一番目立つところに出るのは不自然な気もします。このあたりはガイド氏が説明してくれたのですが、「許可を出す行政団体」がどんなものか、いまいちイメージが沸きません。「マーチャーター」のバスでは車掌が同じ制服を着ていたこともあり、もしかすると個人事業者の組合(日本だと個人タクシーみたいな感じ)みたいな民間団体なのかもしれません。

神奈中エアロスター
次は、hakutsuru81氏たっての希望で、もともと神奈川中央交通にいた三菱ふそうエアロスターに乗って東方向に行きました。しかしバスは混んでいて、肝心のエンジンも三菱ふそうらしい音は全くしないまま線路を跨いだところで下車。

伊豆箱根バスK-U31
折返しで39番のバスでスーレーパヤーに戻ります。
しかしこのバス・・・ものすごく混んでいました。車内はムンムンで客の移動も激しく、道路は渋滞で乗れば乗るほど消耗です。
せっかく日本時代の登録番号も残っており、しかも30年前の「K-規格車(1979年排出ガス規制車)」だというのに、あえなく途中下車でした。

お昼
ホウホウの態で下車。いい時間だったのでガイド氏に連れられてタクシーに乗りお昼ごはんの店へ。ミャンマー料理は米・汁・おかず・付け合わせ(野菜)の、日本人に馴染のあるスタイルです。ガイドブックによれば水が悪いことに加え調理で脂を多用することから大変体に悪いように書かれているものの、おっかなびっくり食べてみれば油っぽさはあまりありません。主菜(カレー味のスパイス煮)がコンパクトで、その味を米で希釈しながら味わうスタイルが、古き良き時代の日本食そのもので、まったく違和感なく食事を楽しめます。米が細長いインディカ米でしたが、主菜のスープを絡めて食べるのにはむしろこっちの方が好都合です。

午後、落ち着いたら、ガイド氏が「ちょっと落ち着いてバスに乗りましょう」とのこと。ガイド氏おすすめのバス(阪急バス中古。200チャットバス)に乗ると、後部扉のあたりがオープンになっていました。格子状の手摺りがあるだけでちょっと危なっかしいのですが、天気が悪くないときは扉が開くようになっており、ここから気持ちいい外気が入ってきます。
阪急バス中古
エンジン音がわりと日本時代を彷彿とさせるものだったこと、エアサスが効いておりボコボコのヤンゴン市内の道路も小気味よくいなしながら走れたこともあり、いくら乗っても苦痛ではありません。
一旦終点まで行き、そこから1時間半かけて北西部のインセイン近くまで行きましたが、大変快適なバス旅でした。

そこから折返しのバスに乗車、ヤンゴンに戻ってくる時には午後6時を廻り暗くなっていました。



※コメントが調子悪いです。昨日(8/25)までにコメントを戴きましたみやのこさん、AR-2さん、雀坊さん、お返事はもう少々おまちください。。。。