茨城私鉄紀行(上)2015年11月28日 21:07

朝5時、吐く息が白く、冷気が服の隙間から染み込んできます。暦の上ではまだ秋ですが、季節もうすっかり冬です。
今年の冬は仕事が大変忙しくなる見通しで、土日もなかなか旅行とか外出とかがままならな見通しが立ってしまいました。
気分というか見通しだけでも気持ちが暗澹としてきますが、確実に遊べるのも今の内だけ。遊べるうちに遊んでおこう、というのも格言です。

かねがね気になっていた、茨城の鉄道のほとんどの路線(乗れないのはTXとケーブルカーくらい)に乗れる「ときわ路パス」を使って、茨城方面に出かけてみることにしました。
最大の目的は、茨鉄道廃線敷を専用道に転換した「BRT」。茨城に住んでいた時から鹿島鉄道や日立電鉄などの私鉄が廃線になってしまいましたが、その跡が続々とバス専用道に転換されています。これがどんなものか、乗ったことがなく何とも言えないので、いつか乗ってみたいとかねがね思っていました。
そのついでに、「ときわ路スタンプラリー」なるスタンプラリーの企画も行われており、これも今回の旅行でやってみたいと思います。

まずいつもの宇都宮線始発(東京6時半発の東海道線電車で、熱海から先の接続が良い)で上野に出て、常磐線快速電車に乗り換え。
常磐線は、上野を出る時は呑み鉄ができるくらいガラガラだったのですが、日暮里で乗客が大量に乗車。写真の通り朝酒を始めてしまいましたので、朝ラッシュ時にビールを飲んでる行儀の悪いおっさんになってしまいました。

北千住、松戸と通過するにつれ車内は空いてきて、丁度良い旅心地です。折しも乗っている電車はE231系、100kwに満たない非力なモーターを全力でブン回して疾走する様は、かつての103系電車の「熱い走り」を彷彿とさせます。

利根川を渡り取手着。ここで一旦下車し、茨城県内でしか買えない「ときわ路パス」を購入。合わせて乗ってもいないのに関東鉄道取手駅のスタンプを一押し。

取手からは後続の常磐線普通列車で移動。
途中特急に抜かれたりしながらもまったりと石岡に到着。石岡駅も橋上駅化工事中です。この調子でいくと、幹線の主要駅はことごとく橋上駅になりそうな勢いです。
ここから鉾田までは「かしてつバス」なる鹿島鉄道の廃止代替バスを使用。この「かしてつバス」は鹿島鉄道の廃線跡をバス専用道路に転換してそこを走らせています。
「かしてつバス」については思うところが多くあり、後で整理していろんなことを書きたいと考えています。


途中下車したりして1時間半で新鉾田駅に到着。鹿島鉄道時代は鉾田駅と新鉾田駅の連絡がどうしようもなく難儀した記憶がありますが、今日乗ったバスは新鉾田駅直通。
ここからは鹿島臨海鉄道で大洗まで移動します。列車は関東では珍しい転換クロスシートの車内ですが、座席周りを含む車内の色合いといい、金属バネでよく揺れる乗り心地といい、どうも今のJRよりも国鉄っぽい列車です。エンジンの音や振動も、後に述べる他路線の気動車とは異なった、今となっては古めかしさすら感じるものです。

海の向こうに戦車を載せた船が係留されてそうな大洗に到着。駅前や駅構内は「ガールズ&パンツァー」尽くしです。ガルパンに限らすアニメはあまり見ないので、なんか流行ってるな〜、メカを操る女性の話って男性がなんとなく好きそうだな〜、というイメージしか湧かなさそうです(多分自分が戦車という乗物に対してはあまり興味を持っておらず、むしろ73式トラックや移動炊具とか言ったヘンテコなロジスティック/後方支援機材が前面に出てくる話ならもう少し違った感想を持つかもしれません)。

そんな大洗から那珂湊まではブルジョアでタクシーで移動。最初は鹿島臨海とひたちなか海浜鉄道の両方を廻ると時間的に押してしまうと思っていたのですが、途中タクシーで短絡すれば両線を乗りつつ片方の線を断念した時刻で引いた行程に乗るため、海門橋もとい清水の舞台から(ry。ちなみにタクシー代は1900円でした。
河口をタクシーで飛ばして対岸に渡るあたり、食い意地が張った結果乗り残した1駅のために唐津市内をタクシーを飛ばした宮脇俊三(時刻表2万キロ)のようで、ある意味では「宮脇プレイ」みたいなものを追体験したような形です。年取って体力や割り切り力がなくなる代わりに頭年増になり、発想が近くなったのかもしれません。
タクシーの車内を通して、海門橋越しに太平洋を見渡しました。1時間後に走るバスなら、もしかして違う光景になるのかもしれません。

ひたちなか海浜鉄道、那珂湊駅。駅の片隅では後援会の人が気軽に「社長どこ〜?」と駅員に尋ねていたあたり、距離の近さを感じます。
昔ながらの「機関区」というべきか、線路にこぼれた重油の匂いが漂ってきそうな、なんとも言えない雰囲気のある駅です。
明日(日曜日)お披露目予定のJR東海車が各所に留置されていますが、そんな中でも古豪のキハ2004がアイドリングをして整備されていました。前身の茨城交通が、扱い慣れたキハ20の同系車を求めて、全国の私鉄から余剰になった車両を買い歩いた、1両です。
那珂湊からは、自社発注のキビキビ走る軽快気動車に乗って勝田に移動。
ひたちなか海浜鉄道も、紆余曲折ありましたが「分かっている」社長に巡り合わせてよかったと思います。利用される方々も従業員の方々もボランティアスタッフの方々も、機嫌がよさそうに眼ました。

勝田まで軽快気動車で移動。大洗から那珂湊にかけては、水戸に住んでいた際はよく海を求めてドライブで動いていたので、導線が限られる鉄道での移動がちょっともどかしく思える反面、まだお酒が残るほろ酔い状態でもふわふわと移動するのもありがたいものと思います。

(続く)