ブルートレイン全廃を私はどう捉えるか2013年11月08日 01:56

今日、ブルートレイン「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」などの客車が牽く夜行列車全廃の意向についてニュースがありました。

後継車両の開発が全く無いことから予想できるとはいえ残念だなという気持ちが半分、今後予想される廃止騒ぎに限りある自分の時間や感情を浪費したくないという気持ちが半分です。

一歩引いて考えてみれば、夜行列車の廃止は、昭和40年代の新幹線延伸開業の度に繰り返されてきた出来事が今回もまた繰り返したに過ぎないです。
社会施策の視点で見ても、新幹線と夜行列車のトータルで考えれば日本の鉄道には平均してマイナスにはなっておらず、世の中を良くするために採算度外視で民間企業に夜行列車運行を強いる(or税金を使って公共セクターで手当をする)動機付けも弱いように私は思います。
以上より、ちょっと自分の中で社会施策的な視点でブルートレインを庇う整理がつかない。

また、ブルートレインは特に自分の人生で思い入れがある存在ではないので、もっと思い入れのある人に感傷の場を譲りたい。

そうであれば、もはや自分にとって理性面でも環状面でも、ブルートレインの優先順位は低く、それに興味関心を取られることは、自分にとって意義の無いように思える。
だから、世の中の喧噪から私自身を守るという姿勢を保ちつつ、この事実を淡々と受け入れようと考えています。