水戸線蒸気時代の客車列車の写真を見ました ― 2014年11月24日 23:02
昨日の「下館駅なか・駅前フェスタ」の展示を見ていて、1点気になった展示があり、思わず写真を撮りました。
昭和41年、水戸線が電化開業する前の年で、架線等の工事が旧ピッチで進んでいました。
今でこそ最長5両のローカル線然とした列車が行き交いますが、当時の旅客列車は、C58形蒸気機関車が10両以上の客車を牽いた、々々たる編成でした。
その客車も32系や60系の、幹線から都落ちした車両が多い模様でしたが、上り列車で機関車の次の客車がポイントです。電化してからの客車列車は、この位置にスユニが連結されていましたが、SL時代はここは合造車のオハユニでした。しかも、よく見ると他の客車とは異なり2段窓。< br> これは。。。
戦災復旧車のオハユニ71に間違いありません。
それにしても、狭窓車の32系ベースの車両も、広窓車の35系ベースの車両も、後続のスハ32と同年代かそれより新しいはずなのに、遠目に見てもはっきり分かる外板のベコベコ具合がとても痛々しいです。戦後20年、ただでさえ傷んだ車両を叩き直した車体が、限界を超えて酷使されていた様子が、よく分かりました。
今でこそ最長5両のローカル線然とした列車が行き交いますが、当時の旅客列車は、C58形蒸気機関車が10両以上の客車を牽いた、々々たる編成でした。
その客車も32系や60系の、幹線から都落ちした車両が多い模様でしたが、上り列車で機関車の次の客車がポイントです。電化してからの客車列車は、この位置にスユニが連結されていましたが、SL時代はここは合造車のオハユニでした。しかも、よく見ると他の客車とは異なり2段窓。< br> これは。。。
戦災復旧車のオハユニ71に間違いありません。
それにしても、狭窓車の32系ベースの車両も、広窓車の35系ベースの車両も、後続のスハ32と同年代かそれより新しいはずなのに、遠目に見てもはっきり分かる外板のベコベコ具合がとても痛々しいです。戦後20年、ただでさえ傷んだ車両を叩き直した車体が、限界を超えて酷使されていた様子が、よく分かりました。
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