ある地方の東武バス車庫の最期2008年06月17日 22:35

モジュールオフ以来、モチベーションが全く上がりません。車両を弄る気力もなく、午後10時に帰宅したらゴロゴロしながら過ごす日々が続いています。

ゴロゴロしながら昔の写真を眺めていたら・・・今回アップロードする、東武バスの車庫の写真が出てきました。

1994年1月撮影、東武バス境営業所下館出張所です。当時下館出張所は担当路線が1路線もなく(1980年代は小山線・宇都宮線などが30〜60分おきに出ており、営業所の看板には各方面に伸びる路線図が描かれていた記憶があるのですが)、出張所格下げ以前は傘下に置いていた笠間出張所(笠間〜水戸間の路線を1990年代半ばまで受け持っていた)の路線車両の点検と貸切車両(当時最新型の日野セレガを含め数台が配置されていた)の管理を行っていた模様です。

広い構内はほとんどが空き地になっており(昔は一杯バスがいたのですが)、車庫の片隅にわずかに貸切車(日野セレガ、グランデッカ。貸切バスの後部には配置車庫を示すアルファベット2文字のシールが貼ってあった)が数台と路線車(日野REの低床車(予備車?休車?)と標準床車(だいぶ以前から部品取りになっていた廃車)とがポツンと留置されていました。

あれから14年、この場所は区画整理がなされ、跡形もなくなっています。

コメント

_ youroumania ― 2008年06月17日 23:26

そういえば東武バスはかなり営業所が減りましたね
以前は熊谷界隈も東武バスが走り回っていましたが・・・

ウチの地元では現役部品取り車が健在ですよ・・・関係ないけど同社2346はおいらの知り合いが数年前まで乗務していました。もう無いですかね・・・
http://seisakujyo.exblog.jp/7988932/

_ クロンシュタット ― 2008年06月18日 05:39

鉄道にしてもバスにしても、消えてしまったものは、あまりにも多いです。
「ファン」ならば、消えてしまったことを知っているのですが、ほとんどの方々は知ってもいません。
冷静に「北海道の鉄道路線図」を眺めれば、そのあまりの空白の多さに、愕然としてしまうことでしょう。

時代はどう考えても、公共交通機関を重視する方向へ流れていくのでしょうが、現実は、猛烈な勢いで、消え続けているのです。

_ ar-2 ― 2008年06月18日 20:39

こんばんは。
何とも興味深い記録です。
この画像を眺めていたら、西新井駅前で富士3E,大宮駅前で日野の三扉、
そして遥か離れた福井駅前でも日野の三扉を撮影していたことを思い出しました。
私自身は意外な気がするのですが、東武って三扉を導入していたのですね。

_ クロポ415@泥酔鉄道 ― 2008年06月18日 23:15

コメントありがとうございます。

>youroumaniaさん
東武バスも撤退/分社化を経て恐ろしくエリアが縮小されましたね〜
最盛期は北は塩原・谷川岳、東は水戸まで路線網が巡らされていたのですが・・・
路線縮小とともに東武の中古車が出回るようになりました(従来は北関東地区が中古車の引受先だったw)ので、2346ももしかしたら・・・かもしれません。

>クロンシュタットさん
地方における公共交通網の衰退は、良くて現状維持・場所によってはかなり急激に進んでいる(「路線バスが一路線もない市」といっても話題にすらならないくらい)のですが、これは交通セクター(交通事業者・自治体の交通対策担当課)だけが頑張ってもどうにもならないと考えています。
まあ、ガソリンがリッター300円くらいになれば「車なしでも生活できるところに引っ越そう」という動きが普及すると個人的には思うのですが、「暮らし方」の問題になってしまっているかもしれないです。

>ar-2さん
東武バスは割と車両については進歩的なところがあり、低床化・前面窓の拡大・車両の冷房化(改造を含む)は積極的に行われていました(現在でも、ノンステップバスの導入率はかなり高いのではないでしょうか)。3扉車も、ターミナル駅での客さばきを1秒でも早く済ませるために一時期集中的に投入されていました。

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