ヨーロッパ風自由形客車(近代型)の床下2011年09月03日 07:40

仕事が訳若布な状態になっており、帰ってきてから工作する気力が沸きません。
本来であれば気候が安定してくる来週に夏休みをとり、夏休みでいろいろ塗装できるよう逆算して工作を進めたかったのですが、とてもそこまで気力が保ちませんでしたorz

1ヶ月近く放置していますが、ヨーロッパ風自由形客車(近代型)の工作を少し進めました。
この車両、JR681系(サンダーバード)の切継で車体をストレッチしていますので、もともとの床下機器は使えません。切継工作の容易なグリーンマックスのキットの床板を転用しようと思ったのですが、この車両、窓が大きく室内が丸見え。座席とか室内にあるとちょっと格好良さそうです。
そこで、JAMコンベンションで2両分100円で売られていた、GM京急600用の椅子付き床板を適当に切り継いで、この客車の床板に転用します。
2両分をつなぎ合わせてちょうど1両分。室内もバッチリ座席が見えます。しかし・・・座席と窓とが全然合ってないですw
椅子の見える床下

【おまけ】
富山地鉄ですが、青白塗装の車両も残しておきたくなったので、知人が2両譲ってくれるのに便乗。地鉄電車は合計8両の大所帯になりました。塗り替え等しない予定の車両はさっさと整備したいところです。
富山地鉄の増備が進みます

バーベキュー2011年09月05日 05:30

バーベキュー

週末は、10年前に同じ職場だった同僚の家族(もうみんな結婚しています)と、泊まりがけでバーベキューに行ってきました。
行先は群馬・・・天気はあいにくでしたが、スウィートグラスさんの屋根付きの快適なキャビンで過ごせました。
火を起こして最初の焼き担当をして(ハマグリがすごい美味しかったです)、お酒を数杯呑んだら其の時点で轟沈・・・各方面でアルコール好きの友人に多く恵まれ、10年前よりは少し呑めるようになったのですが、それでもまだ酒は弱いです。


帰ってきたら疲れて即寝。気がついたらこんな時間になっていました。
最近朝の更新が多いのは、だいたいこのせいです。

架空鉄道をイメージ2011年09月07日 06:06

余った車両の塗装剥がし

手元には、加工で余ったり途中で工作を断念したりしまっている車両が十数両くらいあります。もちろん余り物なので1両1両が異なる車両。もとのプロトタイプにはあまり興味が湧かない車両もあり、どうしたものか考えながら棚の肥やしにしていました。

余らせていても仕方がないので、「地方私鉄の雑多な車両群」として復元することにします。昔の高松琴平電鉄や関東鉄道みたく、外見が全く異なる車両が、同じ色に塗られて凸凹な編成を組んで運行している雰囲気・・・・が表現できればいいなと思います。

走る車両の舞台を妄想を交えて考えて行く架空鉄道みたいな遊び方も出来そうです。


という訳で、関東鉄道の気動車を塗り替えるのに合わせて、余った鉄道コレクションの車両も同時に塗り替えてしまいます。
色は、自分が「地方私鉄っぽい」と思う、クリームと朱色のツートン。関鉄の気動車と全く同じ色を選びました。


一部カテゴリ名を見直すとともに架空鉄道をイメージ という新カテゴリを作りました。
【2023.8.19加筆】「架空鉄道をイメージ」の記事は、構想が固まってきたこともあり、全記事のカテゴリを「鬼怒電ものがたり」に統一しました。

窮地に立つ十和田観光電鉄2011年09月08日 23:20

寂しい十鉄十和田駅(2010.12撮影)

十和田観光電鉄が廃線の危機にあるみたいです。
昨年の新幹線青森開業で人の流れが変わったこと、東北の震災で観光客が減り、観光事業から交通事業への内部補助が成り立たなくなった事(バス事業はこの影響で大きく減便しています)が挙げられます。
沿線自治体の反応も芳しくない(財政支援難色を示す沿線自治体が多い)模様です。
そんな中、十和田市で開かれた市民懇談会で、十和田観光電鉄への財政支援存続を求める市民からの意見が多数寄せられました。

沿線住民ではないのですが、かつて沿線の鉄道を廃線にされかけた(この路線は、地元が負担を負う第三セクター鉄道として再生しました。)地域の住民の一人として、この問題は(特に沿線自治体および住民が「鉄道」を守るためにどれだけ負担する意思があるか?という視点で)、興味深く見て行くつもりです。

小布施に行って来ました2011年09月10日 09:38


スイッチバックの姨捨駅
昨日から3連休の夏休みを取りました。本当は先週中半に夏休みを取る予定を組んでいたのですが、突発の仕事が入り(しかもドタキャン)一旦予約した夏休みを取り直し・・・。

とはいっても今年の夏休みは(沖縄とかバーベキューとかいろいろ出掛けたので)泊まりがけで出掛ける予定は組まず、のんびりしたいと考えています。
手元には普通列車乗り放題の青春18きっぷが1枚・・・有効期限が切れる前にこれを使って日帰り旅行してきました。行先は、長野県の小布施。あわせてまだ乗った事のないJR篠ノ井線・中央本線(辰野支線)を乗り、長野県内のJR線を完乗することにしました。

信越線と上州朝がゆ朝食
始発電車で地元の駅に着き、高崎で長野方面に向かう信越線に乗り換えます。新幹線開業の影響で、信越線は今では群馬県内の横川までしか通じておらず、そこから先はバスと第三セクターで連絡しています。
早速駅弁の「上州朝がゆ」を購入し(すぐ売り切れるので朝の早い時間しか買えない)、信越線ホームに向かったら・・・電車は通勤電車のようなロングシートでした。この車内で駅弁を食べるのは恥ずかしいけど、買っちゃったものは仕方がないので、車内が空いてきた頃を見計らって朝食。

横川〜軽井沢連絡バス、軽井沢〜草津路線バス
横川から軽井沢まではJRバスで連絡。本数も割と多く、車両も観光バスのようなタイプに当たった事もあり、適度な混み具合ながら快適に移動。車内でおじいさんが「青春18きっぷといっても使っているのは18歳未満なんておらず年寄りばかりだ」と言ってましたが、そりゃあ今日は平日ですからねぇ。。。
バーベキュー以来5日振り(マテ)の
軽井沢に到着し、駅に向かう途中で見かけた写真右のバス。軽井沢〜万座〜草津温泉を結ぶ長距離観光路線ですが、どうみてもただの路線バスです。本当にありがとうございましたorz。なかなかハードな行程になりそうで、別の意味で乗り通してみたいです。

廃線になる長野電鉄屋代線
軽井沢からしなの鉄道・長野電鉄屋代線を乗り継ぎ(そういえば屋代線は今年度一杯での廃線が決定していましたね)。屋代線は昔は国鉄からの直通運転もあったのですが、今ではクーラーのない普通列車が1〜2時間に1本往復するローカル線になっています。
昼食を済ませた事もあり、窓を開けた車内で風を受けながらウトウト・・・

小布施の街並み
そんなこんなで目的地小布施に到着。城下町ではない小さな町ですが、地元の豪商が招いた葛飾北斎や佐久間象山、小林一茶ら当時の一流文人が交流した土地です。今回は立寄りませんでしたが、町の中心には葛飾北斎の作品を多く納めた「北斎館」があります。

小布施の街並み
小布施の街自体はそれほど大きくなく、徒歩でも1〜2時間あれば一通りは廻れます。歩道や景観などが綺麗に整備されており、店舗・美術館や出入りする観光客も多く、歩いていてすごく楽しい場所でした。1時間ほど町内を歩き、北斎館を中心とした広場に出ます。ここは名産の栗菓子を売る店が多くあり、さしづめ「小布施の中心」もような場所になっています。ここで栗アイスを頂き、お土産を買って休憩しました。

小布施駅:ながでん電車の広場
小布施駅には、かつて長野電鉄で使用されていた車両を集めた「ながでん電車の広が」があります。帰りの電車の待ち時間の間に覗いてみました。
保存車は4両。502号電気機関車と201・601・1003号電車の4両が、昔ながらの栗色に塗られて屋根下で保管されています。

小布施の保存車両・車内も見れます
この日は車内も公開されておりました。電車の座席は切り欠きや荒れがみられたものの、当時の鉄道車両の内装を知ることができる、貴重な場所です。

もと小田急ロマンスカー
ここから長野まではもと小田急ロマンスカーの特急で戻ります。展望席含め車内は全車自由席。平日ということもあり車内は空いていましたので、展望席を頂き乾杯♪

姨捨駅
そのまま篠ノ井線に出る。「日本三大車窓」として話題になった姨捨駅に立寄り。ここは駅が急坂の途中にあることもあり、スイッチバック構造となっています。丁度乗っていた電車がここで特急の通過待ち合わせを行ったため(一番最初の写真参照)、降りて善光寺平の展望を堪能しました。
ちなみに、長野から松本方向に行く際は、進行方向左側(新幹線ホームが見える方)の座席に座ると、ずっと善光寺平を見渡せる好ポジションを得られます。

辰野廻りの中央線
で、最後、昭和50年代まで中央本線としてのこっていたもののみどり湖駅経由の新線が開業しローカル線になった岡谷−辰野−塩尻に乗車します。最後に残った辰野−塩尻間は、荷物電車を改造した単行の電車が主役です。しかも、乗ろうと思った便が動物との衝突事故で運休。復旧するまでの1時間待ちで乗車とあいなりました。
辰野−岡谷間は、飯田線専用車でそろそろ引退が見えてきた119系電車に乗ろうとしていたのですが、やって来たのは新車。これにこのまま乗って東京に帰りたいw

ワンカップワインで呑み鉄
で、今回の旅行の締めは、駅売りのワンカップワイン。終電で帰宅しました。
今回の旅行により、JR全線の完乗率は、0.3%ほど上がり77.1%(昨年比では九州新幹線開業等があり数字は落ちています)、長野県の全JR線を完乗したことになります。