阿川弘之「南蛮阿房列車」2015年08月07日 05:12

今月に入って、「山本五十六」「雲の墓標」などの著作の、阿川弘之氏が亡くなりました。

代表作とも呼べる上記の著作や、最近の旧仮名遣いの随筆等は読んでいないのですが、氏の著作である「南蛮阿房列車」「南蛮阿房第二列車」は、好きで何度も読み返していました。
内田百間の「阿房列車」の、汽車に乗ることだけが目的の旅行記のを継いで、「二代目阿房列車」の「運転」を世界レベルでで行ったものです。



写真など無くても、文字だけで窓外に広がる情景があたかも車窓を見ているように連続して浮かぶようで、「旅行記」っていいものだと思うようになりました。

阿川氏の「南蛮阿房列車」は2作で終わりましたが、、文庫版でその解説を書いた宮脇俊三氏が「写真などいらない。否、邪魔」と纏め、その宮脇氏自身、良文でのも鉄道旅行記を長く著していました。
しかし、以降、鉄道旅行記の世界はなかなか有名な人が現れなくなります。正直「宮脇俊三の後継者」と呼ばれる人の文章をみても「文字だけで窓の外の情景が浮かぶ」世界に連れて行ってくれないのです。最初のハードルが高すぎたのでしょうか。
自分も新しい鉄道旅行記はあまり読まなくなりました。



ところで、このブログは、「まず写真を出して、その解説として文字を書く」反文学な書き方をしています(それ以前に、そもそもの表現力が不足している・・・)。
世で見るすぐれた旅行記の多くも、上記の「写真」が主役の書き方をしているように思え、「写真なぞ邪魔」を志向していない気がします。
それはそれでたいへん楽しいのですが、どうしても「写真で切り取った瞬間」の「点」に焦点が集まってしまい、文字しかないからこそ車窓が連続して想像できる「異体験」は味わえないような気がします。
「写真なぞ邪魔」を志向し実現できている旅行記、はそういう意味で重要な存在であると考えています。



そういう意味でも、「南蛮阿房列車」は、読むだけで世界の鉄道旅行を追体験させてくれる、重要な一冊だと思います。